BC.29 4

 陣営のはずれの原に、足を投げ出して座り込んでいる男がいた。ローマ軍を観察するような遠巻きから、両手を後ろ手につき、ぼんやりと空を眺めている。ティベリウスと同様に式典に参加するための装束をまとっていて、更に同じく手持ち無沙汰のようだった。見上げる空には雲が流れている。ティベリウスの場所からは離れすぎていて、男の表情までは見えなかった。
 それでも識別できたのは、彼が今回の式典のためにまとっていた装飾用のマントのためだ。アフリカの部族の布地で出来ていてそれが悪目立ちをし、他のローマ人とは明らかに出自を画していることを誇示していた。
 男は、過去の自分を思い返しているところなのだろう。
 アフリカ大陸北部のヌミディア王ユバの嫡子、同じくユバという名の男は、17年前、4歳の時に、ローマのこの地で同様の日を迎えたのだ。
 征服や交渉に屈し、ローマに連行されて凱旋式で牽引される捕虜の存在は、珍しくなかった。凱旋将軍の箔をつけるもので、その数が多いほど、またその血統が尊く、悪名が高いほど栄誉を輝かせた。
 男自身も嘗てはその戦争捕虜の一人で、先ほどのユルス・アントニウスの異母弟妹たちのように、ひとり軍営の中で震えていたのだろう。
 凱旋将軍の補佐をしている蛮族の王の子孫は、この日は勝利側として磨かれた甲冑をつけている。感慨があるのか、当時の恐怖を思い返しているのか。軍団から距離をとりたかったのだろう。単身でたたずむ姿は人目をひいた。
 ローマに征服された国の王の遺児が、ローマの恩恵を受けて育ち、ローマ市民として生きている。
 ローマ市民ユバは自国の文化にはほとんど愛情を寄せなかったが、自分の姿が何を意味するかを知っていた。ヌミディアの王族としてローマの正規軍に所属し、凱旋の式に連なることで、凱旋将軍の軍団が華やかになることを自覚していた。
 またユバのような存在は、ローマ市民の愛国心を満足させる美談でもあった。ユバの遺子を連れ帰り、教育を授けた亡き神君カエサルの慈悲、寛容と、それを受け継いだ義父オクタウィアヌスの美徳を、知らしめる機会でもあったのだ。
 悪いことではない。ティベリウスは思う。彼らは蛮族として、奴隷として生きるよりは、まっとうな人生を生きることが許されているのだから、ローマの偉大さに感謝すべきだ。ローマの役に立つべきだ。
 たとえ屈辱にまみれた人生だとしても。
 無知であること、思考をしないが故の幸福など価値もない。知るが為の辛さならば、耐えてしかるべきだ。
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個人的にユバの時は、カエサルが気にかけてたり、女王サマが話しかけたりしてるといいなあと思います。同時期に捕虜になってる自分の妹には見向きもしないんだけどね! 
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