Interludium 1

 うまく会話が噛み合わない。イライラされていることはわかる。義父にため息をつかれることも、目をそらされることにも、慣れた。直接的に説教をされたことはないが、何か発言すると、否定や反論で返されてくる。ティベリウスの賛意はいつも、相手の期待していたものとは異なったものなのだと思い知らされる。
 義父のことを本人の前で父と呼ぶことはない。他人の前では便宜上使用することはあっても。
 無言で立ち上がる。その方がお互いの為だ。
 食堂を出る前に、無意識に安堵のため息がもれた。こうして毎日をやりすごしているせいか、何年も同じ家で暮らしながら、うわべだけの会話しかしてこなかったように思う。お互いのことなど、ろくに知らない。何を考えているのか見当もつかない。
 嫌いだとか恨んでいるというつもりはない。ただ追従は言い慣れないし、無理に愛想良く振舞うのも非礼に当たる。ただの不精だとか無愛想と思われようが、ティベリウスには誠意のつもりだった。
 だが、弟にはそれが不満らしい。後から部屋に来て、勝手に落ち込んでいる。
「大丈夫?」
 なにが、と思う。時々この、実の肉親でさえ、うっとうしいと感じることがある。自分が聞くから吐き出せと言うが、いったい自分が何さまのつもりなのだろうと思うのだ。家族だからと言われても。その家族に、一度捨てられた兄弟がここにいるではないか。
 自分は家族だからドルススの力になってやれる、などとおこがましいことは考えない。家族だからドルススのことがわかるとも思わない。むしろ意図がわからない。弟はわざわざティベリウスの前に来て、自分勝手に困っている。
「別に」
「どうしても駄目?」
 弟すらもっとうまく立ち会え、と強要してくる。他人とは常にお世辞を言い、話題を探し、敵意のないことを示しあう必要があるらしい。ティベリウスは干渉しないことが、他者に対する一番の尊重だと思っているのだが。
「何が」
 結局。
 弟でさえ、自分の話を黙って聞け、と言いたいのだ。自分勝手な話し方をして促すようにしむけ、同意や謝意を求めてくる。
「どうしてそんなに」
 ドルススは喉を詰まらせた。
「どうして兄さんは、母さんや義父上を許せないの?」
 許す許さないの次元の問題ではない。ティベリウスが許さなかろうと、赦しを与えようと、両人とも悔い改める玉ではないだろう。そして反省が見られたところで嬉しいわけではない。罪は依然として残るのだ。
「正しくないからだ」
「正しくないことならば、兄さんは糾弾し続けるの? 人の気持ちだよ? 人が、人を好きだと思う気持ちが正しいか間違っているかを、兄さんは感情で裁くつもりなの?」
「感情ではない。法によってだ」
 ドルススの言わんとしていることは、察することは出来る。おかしいと言われるのは自分の方だから、現在のローマの婚姻制度が「今どき不倫なんて当たり前」という時勢に即していないのだろう。そしてそれを権力で捩じ曲げたのが義父なのだから、法的根拠が疑わしいのだ。
「そんな風に言わないでよ!」
 ドルススは時折、こんな風に怒りをぶつけてくることがある。ドルススにとって必要な習慣でもあった。
「それじゃ僕が、アウグストゥスの本当の息子だった時には、僕はどうしたらいいんだよ!」
 ドルススは自分の立場を苦ではないと言う。それも事実だが消化しきれていない感情は、定期的にかき出してやらなければ積もっていく。、
「僕は罪なの? 間違って生まれてしまったってことなの? 僕と、父と、母が、兄さんを苦しめておきながら、兄さんだけが家族じゃないなんてことだったとしたら、どうしたらいいんだよ! どうやって謝ったらいいんだよ! 僕だって……僕だって! そんなの嫌だよ! 兄さんを苦しめるために生まれたなんて思いたくもないよ!」
 自分がドルススを傷つけていたのかと思った。
 弟本人に言われなければ、気づけなかった。
 ドルスス自身はティベリウスがそこまでは考えてないことを理解していて、恨みを抱かれている可能性などないことを疑いもしていない。
 だが、それでも母親の不倫を他人ごととして突き放せるティベリウスとは違う。当事者でもあった。感情では弁解しきれなかった。兄に対して罪悪感を抱き続けて来たのだ。
「噂は噂に過ぎない」
 ドルススを知る者は、誰も実父がアウグストゥスであるとは考えてはいない。体格も顔も性格も似ていないし、当時を知る者にとっても非現実的であったのだろう。
「だけど噂がたってもおかしくないくらいってことなのだし……」
 ドルススの悩むことではないし、責任もないことである。そしていくら言い募っても何も解決しない、不毛な会話だった。
「彼らは馬鹿だからだ」
 だから仕方がない。
「馬鹿者は馬鹿だから、馬鹿なことをする。だからまともな人間は馬鹿に我慢しなければならない」
 ドルススが沈黙した。沈黙が不快だった。ここはティベリウスの部屋で、勝手に来て不愉快な思いをしているのならば、出て行けば良いと思うのだが、動かない。やがて弟は呟いた。
「兄さんの言うことは正しいのかも知れないけど、おかしいと思う」
 おかしいのはわかっている。楽ではない。得でもない。だが他人から見ればおかしいとしても、正しくないよりはずっと価値はある。そして価値のないことを信じて生きるために自分を騙せる理由は思いつかなかったし、価値のないことに費やす人生に、やはり価値はなかった。 
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なあ。久しぶりに家族旅行に行った後に書いた小説がこれって、どうなの?
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