BC.27 3

 部屋に入っていくとオクタウィアの子供達が集まっていた。子供の集まりは大人に比べてそれぞれのなりは小さいのに、それとは違う圧迫感がある。
 義理の妹のユリアが先に来ていて、従妹たちと固まって遊んでいた。
 小アントニアが嬉しそうにドルススの手を引いた。
「来て、すごいの! お部屋がシチリアから来た果物の香りでいっぱいで、とっても素敵なのよ!」
「へええ!」
「だからね、ドルススたちにも来て欲しくて、それで」
 弟とユルスの一番下の妹は、手を取りあって微笑みあっている。
 彼女が言うように、部屋の中は柑橘類の香に満たされていた。部屋の隅に詰まれた木箱の中身からのものなのだろう。
 苦笑するのがオクタウィアの長男マルケルス。その異父妹の大アントニア。他にもマルケルスに二人妹がいたがどちらも嫁に行っている。
 オクタウィアの三回目の結婚相手の連れ子のユルス・アントニウスがさりげなくクレオパトラ・セレネの傍に座った。他の少女たちはドルススを巻き込んで人形遊びをしていたが、それには加わらなかった。

 通常、書籍は音読するものであるが、周囲をはばかってなのか他人とは何も共有する気もないのか、一人セレネは黙読している。誰が近寄っても顔も上げないし目礼もない。ティベリウスは部屋の隅に寄って、窓際に座った。周囲に興味もないので目を閉じる。開放されるまで時間がたつのを待つ姿勢である。
「なんかこの二人、似てない?」
 マルケルスが思ったままを呟いた。ドルススがギョッとし、ユルスが「どこが!」と文句を言い出した。何故、一方的な他人の発言で、自分が非難されるはめになるのか。
「言われてみれば、そうかも!」
 ユリアが笑い転げ、アントニアたちが「えー」と声を上げて反論した。とたんにやかましくなる。
 セレネは顔を上げて、ローマに来て初めて対面することになった異母妹たちを見て微笑んだ。
 冷たい月のような娘。
 笑顔を浮かべてさえも、細めた目は笑っていない。
 それでも。それが彼女なりの努力だったのだろう。生まれも育ちも全く違う少女たちを、家族として受け止めようとしていた。
 ティベリウスにとってアントニア姉妹や義理の妹のユリアは子供だった。
 親や大人達に愛情を要求して当然と考えている幼女に笑顔を向けられても困惑する。何も返せない。それに対して傷ついた表情をされても困る。他人に愛情も庇護欲も感じないのは仕方ないことなのだ。
 セレネは何の反応も要求してこなかった。そもそも他人に期待しないのだろう。冷たい表情をして観察するように眺められたが、他人を景色や調度品の一部とでも思っているのか。人間として見られている感じはなかった。
 落ちぶれた王族の娘。こんな境遇になっても背筋を伸ばし、まだ誇りを忘れまいとしているかのようだった。そのすました顔は、何故か無闇に気位の高い母を思わせて嫌悪を感じた。愛想を見せろとは一切思わぬが、格下と見なされていることにはいい気分はしなかった。

 セレネは家族やユリア、ドルススには話しかけることはあったが、ティベリウスのことはいないかのようにふるまわれた。敬意を払っても意味がない相手を知っている。その計算高さには感心した。「相手が好意を持つ」「周囲が評価する」という思惑がない。自分にとって利用価値がない者をかぎわけて無視する潔さには、逆に好意を持てた。

  せっかく話題を作って話しかけてあげたのに。
  こちらだってあなたには気を使っているのに。
  何がそんなに気に入らないのだ。せっかく褒めたのにその態度はないだろう。
 ほっといてくれと思っても、人はティベリウスを利用しようとする。同情、理解、共感、賞賛。そして自分と同等だと認めろ、同等に扱えと迫ってくる。気を遣ったのだから同じくらい愛想のいい返事をしろと期待する。自分の態度が気に入らないなら近寄らなければ良いのに、馬鹿を相手にするかのように、丁寧に説明して最後まで言い分を理解させようと無駄な行為をする。
 たとえば、人はアウグストゥスを讃える。ティベリウスに同意を求める。何故ティベリウスに迎合する反応を期待するのかがわからないが、望むような手応えがないと、人は必死でティベリウスから肯定を引き出そうとする。
 たとえば、アウグストゥスが批判される。顔色を伺いながら、ティベリウスが何を言うかを待ち構える。わざわざティベリウスに聞かせるのだから意図はあるのだろうが、関わらせようとする姿勢が煩わしい。
 何故、他人に同意を得ようとする。
 理解できないことの全てを理解する必要はない。同様に、関わってくる全ての者とつきあう必要もない。
 ティベリウスは自分が完璧ではないとわかっている。欠陥だらけだ。
 だが人は他人に認められないと安心出来ぬらしい。ティベリウスにしつこく食い下がって何等かの派閥に引き込もうとする。それを払いのけると逆恨みをされるし、ティベリウスは狭量で偏見に満ちていると、悪口をまかれるのだ。他人が何を考えていて、何を信条としていようと知ったことか。自宅で自慰行為をするのは勝手だが、それを見せに来て感想や共感を求めるな、と強く思う。
 セレネは価値観が違う者に取り入る労力を、無駄と知っている。
 王女が王国を失った我が身を嘆けば、地の果てからでも擦り寄ってくる者はいる。涙を流し、自分は味方だという顔をして抱きしめる者もいるだろう。
 だがそのほとんどの口元は笑っている。他人の不幸は快楽なのだ。わざわざ哀れな人間に歩み寄って行っては眺め、慰めながらこの人生が自分のものではなくて良かったと幸福を噛みしめる。そしてどうやってこの不幸を利用できるかで頭がいっぱいなのだ。
 また本気で彼女の境遇に哀れみを抱き、力になりたいと志願する者もいるだろうが、一つの例外もなく馬鹿者だ。まず全く無意味なことに労力を注げる時点で判断力もない無能の証であり、有害でさえある。
 他人を信じない。その点では賢い娘だ。
 ローマ人に逆らわない代わりに、見下されるような態度は一切とらなかった。他人に挑発されても、逆に哀れまれても、他人ごとのような顔をしていた。 
 セレネは自分が、ローマ人にとって不愉快な存在であることを知っている。
 自分が万人に愛されない事実を受け止められる人間は、実は少ない。
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やっぱりウィプサニアが理想、なティベリウスには、セレネは違う……ような気がする。やっぱり気を遣ってくれたり、ちやほやしてくれる相手じゃないと。
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