BC.27 2

 エジプトから一緒だったセレネの兄弟達は亡くなっていた。その死因は義父アウグストゥスの陰謀とも噂されているが、ローマに来るまで生きていられただけでありがたく思うべきだと思っている。凱旋式で見せしめにした後は利用価値はなくなった。殺す価値もない代わりに後々面倒になる可能性もあったのだが、都合良く死んでくれたものだ。
 ドルススにそれを言った時には、眉をひそめて本気で怒りをあらわにした。「人の死をそんな風に言わないで欲しい」。ドルススにとって大切な小アントニアの、異母兄弟が亡くなったのだ。アントニア自身も大変に悲しんでいたが、やはり自分以上に悲しいのだからとクレオパトラ・セレネを親身に慰めていたと聞いた。
 確かにドルススは健全な物事の考え方をする。だがその毒気のなさが、逆に相当な無理をしているように感じる。あるいは思考をやめて考えまいとしているかのように。
 ティベリウスは自分が誰かの死を悲しいと思うことがあるのだろうか、と思う。何故人は、死すべき者の命をしつこく惜しみ、悲しむのか。
 実父の死は、特に個人的に何も感じなかった。妻を間男に奪われても媚びへつらう恥をさらして生きているよりは、本人には幸せだったのではないかと思う。母が堂々とティベリウスとドルススを引き取ることになったことは、果たして良かったのかわからない。父の不名誉な立場はそのまま、長子のティベリウスが背負うことになったからだ。間男に頼って生きるという惨めな立場を。だが実父の死自体は悲しかったわけでも、生きてて欲しかったわけでもない。
 親が子より先に死ぬことは順当で必然である。神とは違い、人は例外なく死ぬ。通常は世代の順に死んでいくが、そうではない例も実に多い。子や孫が祖先や父や祖父の像を持ち、追悼演説をする。その順序がめぐって来る分には、父の死に関してはおかしくはない。
 エジプトの子供達は、ローマで生きながらえていてもろくな将来はなかった。処刑されたのでもなし、あれはあれで幸せだったのではないのか。ファラオにふさわしい巨大な墳墓を作らせることは叶わなかったが、あんなものはなくても文句を言える立場ではなかろう。
 死は、まだ想像もつかない。ティベリウスがタナトスの前に頭を垂れる時には、何十年もたっていて、充分に人生を過ごしたと思っているかもしれない。
「何を考えているの?」
 ドルススは心配そうに歪めた顔を向けてきた。
 考えることをやめろと言わんばかりに。
 余計なことを考えるから生きることが辛くなる。つまらないことに気づく。怒りをおぼえる。何も気づかなければ楽に生きられるのだと。
 エピメテウス――(後から考える者)、プロメテウス――(先に考える者)の弟よ。悪しき人間の女、パンドラの夫。粗忽者。だがエピメテウス本人は幸せだったのかもしれない。何も考えない方が、楽だからだ。
 小アントニアを見つけたドルススが、ユルスやセレネを追い越して駆け出した。急いだ拍子で屋敷の奴隷にぶつかってしまったが、以前から動きが鈍い者であった。弟は苛立たしげなため息をつき、傲慢な視線を向けた。ユルスが呟いた。
「そういうとこは、ティベリウスみたいだな」
 ドルススは笑った。
「本当? 兄さんに似てるってことは僕は、クラウディウスっぽいの?」
 ティベリウスには似て欲しくないのに……と小アントニアは思っているようだが、ドルススは上機嫌だった。
 アウグストゥスの実子であるという噂に、ドルスス本人は幼い時から苦しんでいた。しばしば弟はクラウディウス一族の男を熱心に眺め、こちらの血筋だということを確かめては、安堵した。既にたいていの大人よりも酒に強いらしいこともティベリウスと共通していたし、背丈も体格も脆弱なアウグストゥスとは明確に異なっていたが、それだけでは満足していなかった。ドルススは早く軍事訓練に行ける年齢になりたい、とよく口にした。身体を鍛え、馬を乗りこなし、戦の才能を身につけたいと。その素質はオクタウィウスの家系には属さないという証明になったからだ。
 小アントニアは「何をしてもドルススはドルススだわ」と言ったが、その声はドルススには届いていないようだった。
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