BC.27 5

 生まれついた時から、気持ちの晴れた記憶がない。息苦しくて、気が重いのが常だ。日が改まろうと年が明けようと、何かがましになったためしなどないから、この先の人生に何も期待などない。
 馬術を習っても、武術を学んでも、達成したり誰かに勝ったことで、満ち足りたこともない。ただし他者に挑まれれば応じるし、負ければ面白くはないが為に相手を凌ぐ為に全力をかける。しかしながらやはり、勝っても特に嬉しくはない。
「すっげムカつく。勝って当然みたいな顔しやがって」
 などと一方的に言って来る輩もいる。ティベリウスの顔を見て何か不満があるのかとか、陰気な顔をするなとケチをつけてくるが、全く暇な奴らだ。
「何か言えよな」
 ぶつかって来ておいて、因縁をつけられる状況だ。スブラ界隈にたむろするやくざ者と変わらぬ。自分自身も度々言われていることであるから、貴様の先が思いやられる、とまでは思わないが。大人たちは勝手に案ずるが、余計なお世話だ。己の完成形を顧みて説教出来る立場かどうかを判断すべきだ。
 
 大人にはおとなしくしているようにと言われているが、まだ就寝時間でもないし、ユリアにとってはエジプトの王女が泊まりに来ている滅多にない機会だ。好奇心からセレネに張り付いて話を聞き出そうとしている。
 エジプトの原住民の血筋ならともかく、半分はあの愚かなローマ人の父親である。そして時折、他の妹たちにも似た面差しを見る時がある、とドルススは言っていた。それはドルスス自身が、セレネの中にアントニア・ミノルを探しているだけではないかと思ったが、口には出さず黙っておいた。
「セレネ」
 オクタウィアが侍女を引き連れて子供たちの部屋に顔を出した。
「来られますか? カエサル(アウグストゥス)のお客様にご挨拶なさい」
 オクタウィアは義理の娘に声をかける。
「はい」
 セレネが顔を上げて立ち上がった。こわばった表情をしていて何を考えているのかわからない。
「参ります」
 明らかにクレオパトラ・セレネは異色だった。ローマどころかこの家の中ですら浮いた存在である。だが女の習性なのか、協調性は備えている。異母妹たちを見真似て、ローマのやり方を覚えている様子だった。
 確かに頭は良いのだろう。ユリアや大アントニアより年長のせいもあるとは言え、記憶力や集中力はある。知識は言うまでもないにしても、それは与えられた教育の差ではある。そしてユリアでさえ父親の顔色を伺うことがあるのに、セレネ本人は堂々としていた。小動物が危険を探っているかのような、何を考えているかわからない目つきをしてはいるが。
「今来てるの、アントニウスの元奴隷だろ」
 マルケルスがはき捨てるように言った。
「エジプトに残ったまま、いい御身分のようだな」
 ユルスが同様に呆れた風情で応じる。
「アウグストゥスが上陸した時点で、官僚たちはオヤジを裏切って乗り換える気だったんだろ。どんな顔してセレネに会うんだかな」
「でもお前のオヤジに最後までついてく奴って、ホントの馬鹿じゃない? 相当使えないだろ」
 そりゃあそうだなー、と自虐的にユルスが笑っている。
 自国の女王を裏切ったヘレネス(ギリシア人)の官僚たちに対し、セレネは淡々と接したらしい。異母妹たちは同席しなかったので、伝聞の形でしか聞かないが。笑えと言われて無理な話ではある。
 大人たちの酒宴は続いている。 
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