祝婚歌     3

 私はもしかしたらこの人とは生涯連れ添うのかもしれない、と思うと不思議な気がした。
 記憶にある幼い彼は明るくて、いつも怪我をしたり問題を起こしたりして、母を困らせていた。やがてマルクス・アントニウスがエジプトに行き、アウグストゥスとの仲が思わしくなくなると、突然無口になった。
 いつもは家や庭を駆けずり回ってうるさいほどなのに、部屋にいてぼんやりするようになった。幼かった私にはその理由はわからなくて、妹たちと不思議がった。
 母や兄は、私たちにユルスをそっとしておくように言い、兄たちとはもともと一緒に遊ぶわけでもなかったので、なんとなく遠巻きに見ていた。
 義父が亡くなったと母から聞いた後、ユルスを見たら、やつれてはいたけれど、ふっきれた様子だった。「ユルスは殺されるかも知れない」と大人たちが話しているのを聞いて、母に尋ねるとひどく怒られた。穏やかではない男たちが来て、ユルスを渡すように迫られても、母は強い姿勢でそれを退けた。何日かして彼はかすかに笑うようになり、エジプトから異母弟妹が来てからは、その面倒をみるのにはりきって、元のユルスに戻ったように思った。
「どうかしたか?」
 ――あの頃から、私はユルスのさまに、不安を感じていた。彼は本当に笑っているのか、本心を語っているのか。わからなかった。
 時折見せる物憂げな顔、明るく振舞うさまはどちらも本物であり、偽りであるようにも思えた。素の姿を見せてくれていると感じることもあれば、目を見て話していても、背を向けられているような気がしたこともある。
 けれどいつまでも肉親を殺された恨みを表に出していては、生きてはいけない。彼が胸のうちに何かを抱いていたとしても、それは許されるべきだ。私とて、こんな風に持て余す想いがある。
「不思議な感じがして。今までお兄様と呼んでいた人を、旦那様と呼ぶようになるなんて」
 こんな婚姻を、彼は本心から喜んでいるのだろうか? アウグストゥスが娘の結婚相手を私から奪った、埋め合わせではないか。ふとそんなことを思ってから、押し付けられた出戻りの娘に誠意を要求されるのでは、彼が哀れではないかとも思った。
「アウグストゥスも同意していると聞かされた時には驚いたけどな。ま、お主がうちに戻って来て、同じ屋根の下で生活するようになってたら、遅かれ早かれ、こういう結果になってたかも知れんだろ」
「おかしな方。私たちがお互いに好意を持つようになっていたと仰るの? 兄妹ですのに」
「俺が一方的にお主の部屋にしのびこんで、そのうちアウグストゥスに『申し訳ありません、子供が出来たんで大マルケラを下さい』とか言うの。オクタウィア様には泣かれて、アウグストゥスには大目玉食う……ってことになってたりしてな」
 私が返事ができないでいると、彼は思ったような反応がなかったのが残念そうに言った。
「冗談だって。俺だって命は惜しい」
 そう言うとそれでも彼は私の手をとって自分の手を重ね、婚約指輪をなでた。
 今、新しい夫になる人は、私を受け入れようとしてくれているし、好意のようなものは寄せてくれている。
 アグリッパ様や娘たちのことで頭がいっぱいだった私は、複雑な気持ちがした。
 私はあの屋敷に、この七年間の全てを置き捨てて来たようなものだった。結婚生活や子供達のことは、忘れることはできない。なのにふと一瞬忘れられるような気がした、自分が信じがたいものに思えた。
 けれど離婚させられたことで惨めな思いをしていたのに、彼の言葉を聞いて救われた気がしたのも事実だった。たとえ私を慰めるための嘘だとしても、ほんのひとかけらでも、彼の言葉に本心が含まれているのなら、その言葉にすがって生きていけるような気がした。

 結婚式は家族だけの、うちわのものにして欲しかったので、相当無理を言った。ユルスも知人や友人を招きたかったことだろうけれど、それに関しては何も言わないでくれた。まるで日陰の女のようで、なんだか寂しいと小アントニアは言ったけれど、どうしてもユリアと比べてしまうし、わざわざ張り合う気にもなれかった。
 二度目の花嫁姿を見ることになる母は、私に謝りながら、それでもこれは私のためなのだと言った。ユルスに生涯仕えるつもりで、と言われ、少し投げやりな気分になった。私の意志ではどうしようもないではないか。いつまた離婚させられるか、わかったものではないのに。幸せになれと言って家から出したその私の幸せを、もぎ取ったのは誰だというのだろう。


 式を待つ間に、何故かふいに、兄マルケルスの葬儀の時が思い出された。
 彼はユリウス家の人間ではないので、儀式の運行そのものには関与しなかったけれど、常に母の傍らにいた。泣き崩れる母や妹たちを労わり、休むように気遣った。母が決断しなければならない場面でも彼が代行し、母に代わって客の対応を引き受けていた。
 葬儀の間、母はユルスに支えられ、すがるようにして立っていた。母にもう一人、息子がいたのかと思う人がいても不思議ではない。叔父も母については彼に任せきっていた。
 母が何故、私の夫に彼を選んだのかはわかるような気がする。実の娘である私が、彼のような義理の息子がいて良かった、と思ったほどだ。兄が存命の頃なら検討されていたいくつかのユルスの婚約の話も、撤回された。母の姿が痛々しく、彼はしばらくの間は他家の娘を家に入れる煩わしさは避けたい、と言ったのだそうだ。

 式の内容は結婚誓約書への証人の署名と私たちの宣誓のみ。本来なら花嫁の実家で行われ、花婿の家に移動することになるのだけれど、手続きだけを済ませた。
 宣誓を行い、手を握り合う。一連の儀式が終わると、その場でユルスは私を引き寄せて抱えあげた。列席者たちは笑い、私たちをひやかした。
「これで夫婦だな」
 花嫁である私を、ユルスはそのまま寝室に運び込むかのようなふりをしている。
 私は二十歳で再婚なのだから、初婚の彼には不満もあろうに案外嬉しそうで、この人はこの結婚を喜んでいるのだろうか、と思った。そうでなかったとしても、彼の明るさには救われる。その努力には報いなければならない――。
「品のない」
 列席して下さっていたリウィア様の、連れ子のティベリウス・クラウディウス・ネロが、人前でユルスが私に口づけするのを見て言った。
 子供の頃、私たちはパラティウムのアウグストゥスの屋敷に住んでいたことがある。その頃からティベウリスはどこか孤高の人で、ユルスとは全くそりが合わなかった。ユルスが彼のことをよく言うことはほとんどない。
「ふん。お主のような朴念仁にゃわからんだろうさ」
「わかりたくもない。しかし一応言っておく。お幸せに(フェリキテル)」
 列席してくださった方々の中には、微妙そうな表情をしている人々もいた。その時はふざけているユルスを見て呆れたのだと思っていた。けれど、その原因は私たちの姿が、二十年近く前の母オクタウィアとマルクス・アントニウスの姿に重なって見えたからだったという。
 マルクス・アントニウスも結婚した当初は人々に、母にすっかり惚れこんでいると言われていた。しかし貞淑なだけの女に飽きた将軍は、やがてエジプトの女王に忠誠を捧げた。家族を捨て、ローマを敵に回しても、この女と共にあろうと思ったのだ。
 姉を愛していた叔父には、それは耐えがたい屈辱だった。マルクス・アントニウスの嘆願を一切拒否し、彼の長男を殺すなどの処遇が苛烈を極めたのは、姉の恨みをはらすためであったと言えるかも知れない。
 私の母と彼の父の結婚は、敵意の中から生じたものであったことに比べたら、まだ素直に祝福できるという人もいた。
「……しかし、一度はマルクス・アグリッパに嫁いだほどの女性を与えるとは」
 聞こえていないと思っているのだろう、人々の声が耳に入った。
 私も叔父の信頼の厚さを物語る「身内」であるのだ。ユリアほどではないにしても。――私は何が彼女に劣っていたのだろう。何故私なのだろう。何故。
 私は再婚で、実家を出るのではない。母親と引き離されるわけでもなく、新しい夫もおどけていて、和やかな、涙とも無縁の結婚式だった。それでも少し、私は泣きたい気持ちになった。

2005.04.01 UP
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UPは2005年ですが、それより初期(2001年くらい)に書いたものに加筆したものです。
本当に、アウグストゥスのやり方が理解出来なかったです。今でも。
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