黄昏れゆく日々     9

 ユリア様は子供たちを連れて、父の家に帰る私と入れ違いに、同じく実家のパラティウムに帰る形になった。
 いろいろな噂を聞いた。私への同情もティベリウス様への非難も。ティベリウス様は新しい花嫁との婚姻を済ませて、新しい生活が始まった。耳を塞ぎたくともそうした話は耳に入ってきた。これが私の運命。父を失った私は、日陰を生きていくしかないのだろう。これまでだって表立った場所に出ていたつもりはなかったけれど。それでも今になって思えば、私は権力の頂点にあったのだ。ローマの人々口の端に名がのぼるような日々だったのだから。
 私個人としては気力もなく体調も崩し、ショックなことも続いたこともあり、離婚後は外出もほとんど控えていたけれど、ご挨拶を兼ねてカリナエを訪問することにした。きっと私の気持ちを理解してくださる方がいるから。
「痩せたな」
 居間で待っていた主は、私が入っていくと微笑した。今まで感じたことのない、同じ苦しみを受けたことがある者の共感めいた感情を滲ませて。ああこの人たちはずっとこうだったのだと今更ながらに思った。
「しかしそこまでするとは思わなかったな」
 ユルス様の呟きに、マルケラ様は「そうでしょうか」と応じた。嘗て自分も受けた仕打ちであるので、多くは語らず、私のことをいたわって下さった。
「アウグストゥスも、残酷なことをする。今回のことでは、誰も幸せにはなっておらんのにな」
 誰か一人でも。ティベリウス様が幸せになってくれたのなら、私はそれでも良かったのに。
「……本当に、勝手な方たちだこと」
 ユルス様はそれには何も言わなかった。その勝手な人たちのおかげでマルケラ様はお父様と離婚し、ユルス様と再婚したのだ。ユルス様本人はいろいろ愚痴や不平を言うことがあっても「本音は嬉しかった」。以前からマルケラ様を好きだったというわけでは全くなく、意識したことすらない相手だった。いずれ当たりさわりのない無名の女性をあてがわれるのだと思っていたので、マルケラ様の結婚相手に他の誰かでなく自分が選ばれたということは、アウグストゥスにもオクタウィア様にも認められたということだったから、その信頼を光栄に思ったのだそうだ。 長男のマルケルス様を亡くされたオクタウィア様を心配していたアウグストゥスも、ユルス様が淡々と手続きや雑務を引き受けていたことに感心されていた。そうしたことを認められてマルケラ様を託されたことで、ユルス様はそれまで疎外感とまでは言わないけれど、自分は家族の外側にいたつもりだったのが、その輪に入って行ってもいいのだと思ったのだそうだ。
 ――それは今のティベリウス様にとっても同じことなのだろう。アウグストゥスに受け入れられたということなのだ。
 そうした意味でアウグストゥスの血筋をありがたがる人間と言うのは存在するのだ。まるで王族との婚姻のように。ローマにとっては忌まわしい風潮であるのに。ユルス様のことも少し酷いと思った。過去に私の父の結婚相手についてどんどん格が上がった、と言った人もいて、私はその人を軽蔑した。当時ユリア様よりマルケラ様が劣ると見なしたように、私のこともそう価値づけされても仕方がないということなのだろう。

 カリナエのアントニウス邸は、すっかりお二人とお子様たち中心のお屋敷になったように感じた。亡きオクタウィア様とたくさんの子供たちが住んでいた頃と違い、夫婦の趣味が加わったためなのか、どこがとははっきり言えないけれど別のお宅に伺ったかのように印象が変わっていた。一番の違いは色彩と喧噪なのかもしれない。主人に勧められて座った居間も、喪に服していたかのように静かだった過去に比べ、外国製の華やかな色彩の陶器や布、変わった色の大理石でできた彫像が目に入り、庭で剣術ごっこをする子供たちの声が聞こえていた。
「まあ、お主は少しのんびりしなさい。子供が流れてしまったのは残念な話だが」
 子供が生まれたら真っ先にティベリウス様に会わせに行こうと思っていたのに、実家に戻ってからティベリウス様を思い出しては泣き続けたせいで体調を崩し、流産してしまった。私はティベリウス様と息子を失ったとたんに、母親失格の女になってしまったようで、本当にこれで何もかも失ってしまったのだと悲しく思った。
「アウグストゥスもユリアの夫をティベリウスにするまで、かなり考えたようなんだが。他にマシな男がいないかと、ローマの騎士階級まで考慮したそうだ。本人達の相性が良くないことを知っていてのことだからな、リウィア様の後押しもあったんじゃないか」
 それは考えないわけにはいかなかった。
 私ではいけなかったということなのだろう。父が生きていた頃ならともかく、今の私では。
「クラウディウス家の長男、ティベリウス様の妻が、私ごときでは不満だったのでしょうね」
 それは違う、とユルス様は私とそしてマルケラ様に対して言った。
「マルケルスもアグリッパ殿も、アウグストゥスの後継と見なされた証としてユリアと結婚しているからな。ユリアと結婚する必要があったんだろう。次の結婚相手が誰であれ、長年尽くしてきたティベリウスよりも重んじられるようでは、リウィア様も面白くなかろう」
 周囲も前例から、ユリア様の夫を次期後継者と見なす空気は確かにあった。ユリウス家の後継者ではないにしろ、アウグストゥスの後任とする表明ではあった。確かにティベリウス様は性格が閉鎖的で誤解されやすい分だけ、アウグストゥスに相応の評価をされてこなかった。リウィア様もその点では歯痒い思いをしていたことだろう。……評価されるために取り入る努力を一切しなかったティベリウス様に対しても同じくらい、腹立たしく思われていたかも知れないけれど。
「でも、あのティベリウスが離婚をするなんて。誰から見てもウィプサニアとはうまくいっていたのに」
 そう呟くマルケラ様をはじめ、ティベリウス様を知る誰もが花嫁となる私を案じていたのに、いざ結婚するとティベリウス様は私を妻として相応に扱ったことに対して、大げさなことながら感動する人さえいた。ご自分の妻としてではなく、アグリッパの娘を侮辱することは許さないという態度ではあったそうだけれど。ユリア様やアントニア様、マルケラ様に比べたら私が格の落ちる嫁だと見なされることにひどく不快感を示したし、私の存在が出征先の陣営内でローマ兵たちに軽んじられることがあれば激怒をし、「マルクス・アグリッパの娘」として父の部下たちからは親しみを抱かれていること、「奥方はお元気ですか」などと言われることには悪い気はしなかったらしく、素直に「ありがとう」と言っていたのだそうだ。
「自分を責めるな。ティベリウスも、男は皆そうだ。己の出世の前には妥協する。お主が悪いわけじゃない」
 ユルス様は、ティベリウス様とは自他ともに認める犬猿の仲だ。価値観が真逆であるので、出来るだけ会話はしない。側近二人が人前で口論などしようものならアウグストゥスの評判を落とすことになる為、お互い避けていたのだ。それでも男として同情もしていた。ユルス様ご本人の結婚も妥協はなかったと、言い切れなかっただろう。けれど積極的に受け入れて、幸せな家庭を築いている。
 マルケラ様が目を逸らして微笑んだ。私の父もそうして折り合いをつけて、この人と離婚したのだ。
「……会いたいのなら、手引きくらいしてやる。別荘でも第三者の屋敷でも都合はつけてやる」
 真面目な表情でユルス様が言い、マルケラ様は「あなた。私の時でも同じことを言いましたか?」と尋ねた。
「もしもお主がそれを望んだのなら俺は咎める気はなかったが。前の家庭については触れないで欲しそうだったし」
「そうですわね。私の場合は、むしろ現実に向き合うのが怖かったかもしれません。私に会って下さらなかったり、幸せになれと突き放されることが。だからできるだけ耳を塞いでいたかった――」
 もしもティベリウス様の、私への気持ちがとうになかったら。
 その現実を知るのは確かに恐ろしくもあり、他方では私が心の底で抱いている望みが、あの人の幸せを壊しかねないという恐怖に身がすくんだ。
 ティベリウス様は、ユリア様と式を済ませ、あのパラティウムの館でなんとか生活を共にしている。もともと性格が合わないのはお互いに承知していて、それでも自制と忍耐によって、夫婦生活を営んでいたのだ。ティベリウス様の気性からして、生半可な努力ではなかっただろうし、ユリア様だって駒のように扱われ、後釜として乗り込む形で前妻との思い出のある家に暮らし、万事を私と比較されるのを知りながら、健気に妻としての役目を果たそうとしていた。
 ――やはり私は二人ともを好きだったから、その薄氷のような努力の成果を壊す気にはなれなかった。私が嫁いだ当時に実家に戻れなかったように、二人の間に立ってしまうことで取り返しのつかないことをしてしまいそうな気がした。
「ティベリウスも、自分の意思ではどうにもならなかったのですよ。ウィプサニアが無茶をして、これ以上傷つく必要はありませんよ」
 マルケラ様が諌めるように言った。
「あなただって私との離婚を命じられたら、従わなければならないのに。簡単にけしかけないで下さい」
 ユルス様の表情が更に冷めたものになった。 
「だとしても、俺はティベリウスのような別れ方はしない。別れようが、引き離されようが、どんなことしても会うし、切り捨てるようなやり方はしない」
 離婚が決まった時から、ティベリウス様は私から距離を置いた。離縁そのものよりも、その日の朝までは確かに愛し合っていたはずの夫のあまりに決然とした態度に、私は傷ついていたのかもしれない。誰かの命令だったとしても、心だけは私を思い続けると言って欲しかった。最後に万感の思いを込めて触れさせて欲しかった。
 私はティベリウス様に拒絶されていた――それでも私は信じたかった。
「捨てられてなんかいません! ティベリウス様はまだ……まだ私を……」
 思ってくれているもの。きっと、私を恋しく思って下さっているもの……。そう思いたかった。
「じゃあなんで、お主を家から出した。どうしてお主に会いに来ない」
「無茶言わないで下さい! そんなことできないのわかっているくせに!」
「アウグストゥスは離婚と結婚を命じたが、お主を忘れろとか、ユリアを愛せとは言っていない」
 そんなこと屁理屈でしかない。結婚をそんな風に言ってしまったら、お互いにつらいだけなのに。
「それは不倫になってしまいますよ」
 静かにマルケラ様が口をはさんだ。お互いの気持ちは変わらないまま以前と同じことをしても、それは不倫と言われるのだ。
「それに、アウグストゥスに知れたら」
「構わん。俺の腹で考えることにまで干渉されてたまるか」
 ユルス様は言い切った。マルケラ様は不安げな表情をしていた。
 この人は何年もこうして生きていたのだ。結婚以前から。子供の時から。15年以上の年月を、こうして目を背けようとしながら、何度も、何度も同じことを思い出し、噛みしめてきたのだ。
 私もこれから、きっとそうなるのだろう。

 実家は静かだった。子供たちの声もなく、父や義理の母もいない。ここが私の家だと言われても私の住んでいた頃とはあまりに異なり、歳月とは別に信じられない思いがした。
 一人になると、時折ふとリウィア様のことが思い出された。
 ティベリウス様に対する厳しさ。アウグストゥスへの冷淡な感情。
 あんな風に言いたい気持ちがわからないわけではなかった。夫を愛しているとか、国家の為にこうするのだと綺麗ごとを言われるよりも、自分のやり方を貫いているだけだと言われる方が、納得できる気もした。
 そしてお前が犠牲になれと言われるのではなく、リウィア様は少なくとも離縁される私にとって、気持ちが楽になれるような言葉をかけてくださったのだと思う。ティベリウス様がどれだけ身勝手な男であるかを示して、私は解放されたのだと思わせてくれようとしたのだと。
 客観的には正しいのかもしれない。ただ私にはそれは事実ではなかった。この私自身が、夫と共に過ごした日々を幸せだったと思っている。私には、これで良かったのだとは思えなかった。どうしても他人を恨まずにはいられなかった。
 そんなある日、ドルスス様が訪ねてきた。
 
「私は君に伝言を伝えに来た」
 ドルスス様は多忙な中、私に面会を求めてきた。かつての義弟。ローマ市民の人気は高く、ゆくゆくは執政官になろうという人だ。その人が直々に私の元を訪れて、思いつめた表情の後に私に告げた。
「我が兄、ティベリウスの意思である。ウィプサニア・アグリッピナに再婚するように命じる」
「……え?」
 この人は何を言ったのか。
 私自身の離縁の話を聞いた時よりも、それは空言のような気がした。
 この人は何を私に言っているのだろう。
「ローマでは子供が生める女が結婚をしないでいるのは、罪に値する。速やかに適当な配偶者を選び、家庭を持つように取り計らうことになる」
 よくもそんなことを。この私に。あなたの家の都合で夫を取り上げて一人きりにされた上に、さらにそんな命令まで。
「……嘘……!」
 嘘。あの人がそんなことを言うわけがない。確かに自分以外の者に嫁げば幸せになれるだろうとは仰っていたけれど、まさか。
「ティベリウス様に離縁された傷も癒えぬうちに、再婚しろと命じられる筋合いなどありません。余計なお世話です!」
 あの人の周囲の人たちが勝手を言っているだけだ。離縁された私が哀れだからと同情するふりをして、再婚といううやむやな形で処理しようとしているだけだ。
 私の無礼を叱っても良いところを、ドルスス様は力なく微笑した。
「……少し前になるが、兄は外出していた君を見かけた。もちろん声もかけず、黙ってその後ろ姿を見つめるしかなかった。君の姿が見えなくなるまで。兄は涙をためた眼で、立ちつくしていたそうだ。それを側近たちやローマ市民に見られている。アウグストゥスにとっては不愉快な事態だ。現在は君とは絶対に会わないように、周囲の者がとりはからっている」
 気づく余裕すらなかった。いつのことを言っているのか。そもそも私が監視されているなんて。ティベリウスの妻であり、アグリッパの娘であった私が。何かの罪人のように。
「兄は、人前で泣くなど死んでもしない男だったはずだ。だがウィプサニアを失った痛手に予想以上に脆かったことに、本人が驚いている。何よりもう自分とは関係のないはずのウィプサニアに制限がつくのは良くない。早く結婚させた方がいいだろうと判断した。これは兄の意見だ」
 ドルスス様も思い違いをしている。
 ティベリウス様は、別に口下手なのでも、気取り屋なのでもない。思わないこと、感じないことを表現しないだけのことで、自然に涙が出てもそれを恥とはしないし隠しはしなかった。私に見せた弱さを、取り繕ったことはない。
 それにドルスス様は、ティベリウス様は私をまだ愛しているから涙を浮かべたと思い込んでいるけれど、それは少し違う。涙を見せたからといって、それが愛している証拠にはならない。その時に私に近寄ることもなく、声すらかけなかったのだから、既に決別してしまっている。私に絶縁を申し渡す、冷静さもある。
 
「君に言うべきかどうかはわからない。残酷なことを言うようだけれど、兄は二度と君に会うことはないだろう。小ドルススに会うことは許すかも知れない。しかし、兄はけして君に会うことはない。会う必要がないからだ」
 二度と。顔を見ることも、言葉を交わすこともないのだ。
 憎くて別れたわけではない。あの人の、息子の母は私であるのに。もう他人なのだ。二度と私の人生に、現れることはないのだ。
「兄さんは、君は誰と結婚しても幸せになれるだろうと言っていた。自分のような男と暮らしていられたのだから、どんな相手でも耐えられることだろう。だから、今後は安否を気遣う必要はないだろうと」
 確かにティベリウス様よりも難しい男性など、ローマのどこを探してもなかなかいないだろう。だけどそれはティベリウス様にとって私でなければいけなかった、という証明だった。他の男にとって私が扱いやすい女だとしても、きっと私でなくとも他の誰かでも良かっただろう。ティベリウス様ほどに、私を必要としないだろう。もしかしたらそれは歪んだ愛だと言われるのかもしれないけれど、私を本当に理解してくれた人だ。

「ティベリウスは、お前を解放しようとしたのよ」
 リウィア様が最後に言った言葉が突然思い出された。
「自分が狭量な男だとわかっていて、お前はもっと幸せになれることを知っていた。だからこの窮屈な世界から逃がしたいと思ったのよ」

「兄の知っているウィプサニアは、いつも笑顔で、どんな苦労も出来る女だから。ずっとそう思って生きてゆくつもりなんだ。自分と離婚して悲しんでいる不幸なウィプサニアなんて、考えたくないんだよ。おかしな考え方だけど、そう思わないと兄さんが辛いのだろうね。だから兄さんはウィプサニアを不幸にしていたからこの離婚は正しくて、ウィプサニアはこれからずっと幸せに暮らしてゆくんだと、思いたいんだろう……」

 もし離婚を命じられたらドルスス様も同じようにしましたか、と尋ねた。やはりアントニア様に再婚を勧めただろうか。「僕は従わない」というのがドルスス様の答だった。アントニア様との離婚云々ではなくそれ以前に「他人にクラウディウスが命じられる筋合いはない」
 なのにその名家の長男であるティベリウス様は従った。私を捨ててユリア様と結婚することを受け入れた。ドルスス様は以前、ティベリウス様と恐ろしい話をしていたことがある。アウグストゥス亡き後のこと。私の異母弟たちがアウグストゥスの養子になっていて、彼らがその権力を継承することを恐れていた。だから自分たちが代わるべきだと口にする弟を、ティベリウス様が苦しそうになだめていらっしゃった。
 ティベリウス様は自分が受けなければドルスス様が暴走すると想像したのかもしれない。ここで自分がアウグストゥスに従わなければ、ドルスス様はさらに不満を募らせることだろう。そしていつか――。私の弟たちと対立していたことだろう。その限界がもっと早ければ、アウグストゥスその人と。
 だからティベリウス様は私を捨てたのだ――そう、思えれば良かったのに。私の中のもっと厳しい事実が私を苦しめた。
 現実を見ればやはり私は捨てられたのだ。ティベリウス様は切り捨てたのだ。リウィア様の為でもアウグストゥスの命令だからでもなく、ローマの政界を担う者として、ユリア様と結婚する必要があった。だから私を手離したのだ。
 それを認めたくなくて、私はティベリウス様に未練を持っていて欲しかったのかも知れない。まだ好きだと、誰より好きだと思っていて欲しかった。それが一人になった私の本音なのだ。
 私はティベリウス様の思う通りに生きていかなくてはいけない。
 忘れられたくない。けれど忘れられなくてはいけない。ティベリウス様が私が保護者のないことを心配したり、悪い噂を耳にして心を乱したりすることがないように。私が結婚して幸せに生きているのだと思い込んでもらわなくてはいけない。
 それが私の出来る唯一のこと。道が分かたれてしまったとしても、あの人はきっと私を思い出してくれる。その時に私は、幸せでなくてはいけないのだ。
「善処して欲しい」
 と言うとドルスス様は帰っていった。私が義弟に会ったのも、それが最後だった。

 今になって思う。もしかしたら本人が言われたとおり、本当にティベリウス様への思いは、幼かった私の幻想であったのかも知れない。私がティベリウス様を慕うのは尊敬からではなく、法的に私の夫であったが故なのかも知れない。他の男性であったなら、あんなに自分たちは夫婦なのだと言い聞かせる必要もなかったし、離縁することになっても、普通に別れられたのかも知れない。
 でもティベリウス様は、私の言葉も笑顔も信じてはくれなかったけれど、私が心の隅でため息をつくのを知っていた。別れてからティベリウス様は私を理解してくれていたと気付いた。――遅すぎた。

 ティベリウス様はまるでずっとそう見えていたかのように、私が笑顔で何の不満もなく生きていけると見なすことにしたのだ。私ならどこでもやっていける。どんな結婚相手でも幸せになれる。だから――ティベリウス様の庇護はなくとも大丈夫。これまでより私は何倍も幸せに暮らしていくことだろう。

 ――ならば私はあの人に従おう。あの人の望む姿であり続けよう。
 それがアウグストゥスの命令であるのなら、拒否したかも知れない。
 けれどティベリウス様がそう言ったのならばと、私は従うことにした。ティベリウス様がそう望まれるのなら、私はそのようにありたいと思うから。
 私は再婚することになる。
 ティベリウス様が二度と私を顧みることがないように。ティベリウス様が私の人生を案ずることがないように。
 私はティベリウス様の信じたいと思った通りに生きてゆこう。
 あの人に、忘れられるために。

2012.2.12 UP
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きつかった。いろんな意味で。その中のアホな理由の一つが、「恋する女の子の気持ちを書くことが出来ない」という情けない理由でした。
初めてこんだけ大量に「愛してる」と書きました。純粋に男性に一途な女ってほとんど書いたことがありません。「好き」の最上級としての言葉を「愛してる」としか書けないってのは、語彙が貧困だなと何度も何度も思いました。
塩野さんを読んでいなければ書かなかったであろう個所がありますね。
自分が不幸にしたかもしれない人が、その後結婚してくれていれば、なんとなくホッと出来るという心理ってありませんかね。少なくともその後については、心配する責任がなくなるという。そういう意味でティベリウスが命じたことにしましたが。
ティベリウスはウィプサニアの新しい夫ガルスを憎んでいたようですが、それを隠せないくらいやはりウィプサニアを忘れられなかったのが、ガルスが滅茶苦茶ウザイ奴だったのか。

さー、大昔に書いて隠し玉にしていた分のストック切れたぞ。
ちょっと時間かかるかもしれませんが、あと二話で終わらせます。
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