黄昏れゆく日々     2

 私の結婚の日取りが決まったことを、大マルケラ様に報告に行った。本当は式にも来ていただきたかったけれど、現在のお父様の妻はユリア様だし、正式には私のお母様ではないから難しかった。
 大マルケラ様は去年、私の父と離婚した。本人の意思でもなく「させられた」という方が正しいのかもしれない。私の父アグリッパはユリア様と再婚するために離婚したのだ。ローマの人々は父を「それだけアウグストゥスに見込まれた人物なのだ」と認識した。結婚相手がどんどんアウグストゥスにとって近しい女性になっていくのだから。けれどマルケラ様よりユリア様の方が価値が高いから、という見方をされていることに、同じ女として私はとても悲しく思った。
 マルケラ様の新しい嫁ぎ先は実はご実家で、私の父との離婚後「出戻ってそのまま再婚した」という珍しい形になっている。ローマの高級住宅街、カリナエにある、もとはポンペイウス邸と呼ばれた立派なお屋敷に住んでいて、故マルクス・アントニウスの次男であるユルス様が旦那様だ。ユルス様の父マルクス・アントニウス将軍と、マルケラ様の母オクタウィアが結婚していたので、もともと義理の兄妹だった。複雑な家系なのでここでも少し、考え込んでしまう。
 ユルス様とマルケラ様は私に「おめでとう」と言った。そして二人ともが複雑そうにため息をついた。
「お二人とも、ティベリウス様とは一緒に暮らしていたことがあったとお聞きしたんですけど」
 十年も前のことだけれどオクタウィア様が婚家を追い出された時に、弟のアウグストゥスの家に、子供たちを連れて住んだことがある。だからユルス様とマルケラ様は、ティベリウス様と一緒に生活していた時期もあるのだ。
「さあ。忘れてしまったわね」
 大マルケラ様は私に、結婚相手のティベリウス様の悪口を言いたがらなかった。
「俺もちょっと昔は仲悪くて口もきかないって感じだったから、その延長でな。今はそんなことないぞ。堂々と口げんかをする仲だ」
 それは友好的だということなのかしら。
「怖い顔して冷淡に見えるかも知れんが……。そうだな。浮気だけはない……。なあ。あとティベリウスのどこを褒められると思う?」
 ユルス様が言葉を選びつつマルケラ様に尋ねた。
「頭がよろしいですわね。確かギリシア語に堪能で」
「ああ、嫌味までギリシア語だったけどな」
「じゃあご本を読んで下さるかしら」
「本人が読んではくれないと思うが。ギリシア人の奴隷に朗読させるのは好きだな」
「じゃあ、ティベリウス様に読んでさしあげられるように、私がお勉強しますね」
 私とティベリウス様が一緒に生活するという想像をしようとしても、できなかったけれど、何か接点を見つけたかった。私が言うと、ユルス様は急に真面目な顔つきをした。
「……ウィプサニア。俺はこの結婚を妨害する権利はない。しかし延期できないかアグリッパ将軍に言ったことがある。あまりにも酷だ」
「あなた」
 マルケラ様がさえぎった。ユルス様の手に、そっと手を重ねる。これはアウグストゥスの意思だ。変えられない。それが出来たなら、マルケラ様だってユリア様だって再婚することもなかったはずだ。
「マルケラ。お主だって辛かろう。可愛いウィプサニアが、あんな……」
 言いかけて、マルケラ様の顔を見て目を伏せた。
「……そうだな。めでたい話なんだ」
 ユリア様も義理のお兄様なのだからよく知っているのかと思えば「私にもよくわからない男」と仰っていた。「他人に興味がない男だから。あんたのやることには干渉しないと思うわ」
 ティベリウス様って一体、どういう人なのだろう……。
 ユルス様は、私の頭を撫でた。泣きたくなったけど、笑うしかなかった。ティベリウス様を知っている人たちは、あんまりティベリウス様を褒めない。浮気だけはしないと言うけれど、それは女性を含めて人間に興味がないのだという。
 私の結婚する人は、とても寂しい人なのだと思った。

 結婚の日は決定したけれど、ティベリウス様とはそれからも特にお会いすることもなかった。ティベリウス様はアウグストゥスがうるさいので、とりあえず結婚しなければならなかったのだ。結婚を奨励しているアウグストゥスの継子が結婚しないのでは、ローマ市民に示しがつかないから。
「どうしてティベリウス様なのですか?」
 私がお父様に尋ねると、
「お前が生まれてすぐに、決めたのだよ」と言った。
 親友の娘であるからというだけでなく、私の祖父アッティクスをアウグストゥスが気に入っていて、私と妻の連れ子との婚姻で関係を近づけたかったのだという。
「しかしお前の為に、これで良かったのだろうか。相手はクラウディウスだ」
 お父様自身も貴族の家柄の縁談はたくさん舞い込んできたけれど騎士階級の娘と結婚した。祖父アッティクスの娘をぜひに、と思っていたこともあるけれど政略結婚ではなかったように、私が名門貴族の嫡男に嫁ぐのでは苦労するのではないかとも心配していたのだ。
 時々ユリア様は、「私よりアウグストゥスの方が大事なんじゃないの?」なんて言い方をする。二番目と三番目の結婚は、アウグストゥスの命令でしたものだから。
「だが――彼のことは小さい頃から見ているが、ローマで一番しっかりとした人だ」と言った。
「怖そうな方ね」
「本当はやさしい人だよ。兵士には人気がある」
「そうなの?」
「無愛想で口下手だから、ちょっと誤解されやすいけどね」
「お父様そっくり」
 と言うと、お父様はとても複雑そうな顔をした。やっぱりお父様もティベリウス様に似ていると言われては、嬉しくないみたい。
「お前はティベリウスに生涯仕える気持ちでいなさい。家を出たら、帰ってくることなど考えてはいけない。どんなことがあっても、辛くてもだ。私が死んだら、もうこの家にはユリアとその子供たちしかいなくなるのだから。結婚して子供を生んで向こうの家の者になるのだよ」
「死ぬなんて仰らないで」
 お父様は私のことが心配だったのだ。母も他界していて、新しい妻とは血縁はない。できるだけ早く結婚させてその家で後継ぎの母親としての地位を確保させたかったのだ。
「お前が彼の家族になるのだよ。そうすれば私がいなくなっても、彼がお前を守ってくれるだろう」
 やはりお父様はティベリウス様を信頼しているみたいで、やっと安心できた。

 私の実母はカエキリウス・ポンポニウス・アッティクスというローマ騎士の娘だった。祖父アッティクスはキケロと親交のあった人で、金融業や出版業を営んでいた。祖父は騎士階級ながらとても人望のあった人で、お父様はどちらかと言うと祖父に惚れ込んでその娘を娶ったようだ。
 母カエキリア・アッティカの持っていた祖父の財産はさることながら、親交のあった人たちとの書簡も多い。残してくれた本は、大切な宝物だ。私の母親の持ってきたものだから、お嫁に行くときには持って出てもいいとユリア様は言う。
「ティベリウスへの持参金としては最高だわ」
「そんなにご本がお好きなの?」
「特にギリシア語の古典がね。教養というより、あそこまでいくとオタクだわ」
 ローマの政治家にはギリシア語は必須だから、特技としてわざわざ強調されることはない。でも人がこれほど言うのだから、きっとよほど優れているのだ。
 人はティベリウス様がもっと明るくて開放的な性格をしていれば、アウグストゥスの気に入って、正式な後継者として扱われていたかも知れないという。
「本当に、あんたにもティベリウスにも幸せになって欲しいのよ。あんたたちってなんか幸薄いって感じなんだもの」
「私、不幸せに見えますか?」 
「母親が何度も替わっていて、しかもあたしみたいな女が後妻として来ている娘なんて、可哀想だと思うわ」
「そんなことないですよ。ユリア様って一番私を可愛いって言ってくれますもん。この先、ティベリウス様はもちろん、浮気相手ができたって、こんなに『可愛い』って言ってくれる人はいないと思うもの」
 ユリア様と一緒に笑った。それから「では女に磨きをかけにいくわよ」と言った。
「ゲルマニアの女の髪で出来たカツラをカンプス・マルティウスに買いに行きましょう」
「カツラ? どんなの?」
「金髪で、こーんな長いの」
 ユリア様は美人なのにおしゃれに手を抜かない。お化粧の仕方を教えてもらったり、私に似合う髪の結い方を考えてもらったりしたけど、結構難しくてきちんとおぼえられたかは自信がない。

 お父様もティベリウス様も忙しい方だ。いつまた軍を率いてローマを出て行かなければならなくなるかわかったものではないので、期間をおかず、二人ともがローマにいて、あいている日に済ませてしまおうということになったのだそうだ。
 結婚式にはお父様の親友――というには恐れ多いような気がするけれど、そう呼んで下さる、アウグストゥスが来てくださった。カエサルは義理の息子と親友の娘の結婚式とあって、上機嫌に見えた。
 それからティベリウス様の母リウィア様と、弟ドルスス様。会ったこともない知らない人もいっぱい来て祝ってくださった。それから宴会のようなことになっていたけれど、目の回るほどの忙しさであまり憶えていない。
 花嫁姿はとても苦しかった。トゥニカの上に羊毛の帯を解きにくい複雑な巻き方で巻く。サフラン色のマントをまとい、サンダルを履く。髪は重いかつらをつけて、真っ赤なベールをかぶり、黄色い花で飾る。今まで綺麗ね、なんて言っていたのがこれほど大変だとは思わなかった。歩くたびにぐらぐらしそうになった。
 玄関で花婿の一行が来るのを待つ。到着したらお式が始まる。家の中央広間で神々へお供えをし、証人が結婚誓約書に署名をする。
 式の間ずっとティベリウス様は私を見なかった。もちろん話もしない。ずっと不機嫌そうに「あなたがガイウスである限り、私はガイアです」の宣誓以外は黙ったままで、手を握った時ですら興味もなさそうに顔を背けられた。泣きたくなったけど笑うようにしていた。それでも限界がきて、うつむいてしまったのに、ユリア様は「頑張ったわね」と褒めてくれて、抱きしめてくれた。本当に本当に、ユリア様の腕から離れたくはなかったのだけれど、花婿側の人たちに腕をつかまれて、家を出ることになった。小さな妹は泣いていた。私はもっと泣きたくなったけれど、我慢して私は笑おうとした。最後に見せる顔が笑顔でないと、怒られてしまうから。
 パラティウムのお屋敷に着き、花婿に抱えられて敷居をまたぐ時、ティベリウス様は乱暴に私を持ち上げた。とっさに腕にしがみついた。「軽い」と呟いて、私が予想より軽いのに拍子抜けしている。ティベリウス様と目があったけど、やっぱり不機嫌そうな顔をしていた。もしかしたらそう思うのは間違いで、これが普通の顔なのかしら。

 ティベリウス様は私を寝台に下ろすと、やっぱり深いため息をついた。頭がガンガンする。特別な巻き方をしている帯がきつい。その前に頭が重くて辛い。かつらがあってないのかも知れない。でもとり合えず私はじっとしていればいいのだと緊張していると、ティベリウス様は言った。
「初めてか?」
「……はい」
「私もだ」
 これが私と夫との初めての会話だった。

2012.1.2 UP
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出典探してるんですが、ティベリウスは結婚前には女を知らなかっただろう、とやや断定的に書いてあった本があったので、その設定です。
花嫁の花冠は白か黄色だそうです。セレネの時は白にしたので、ウィプサニアは黄色にしてみました。
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