王朝の復活

 

 クラウディアの屋敷を出るとユリアがさすがに顔をひきつらせた。眼を向けるそこここに、剣のもとに裁かれた賊が十数人にもおよび倒れている。
 夜半であるにもかかわらず、見物人が集まって人垣を成していた。ティベリウスの連れてきた男たちが死人をひきずり、運び出す相談をする側で、屋敷の使用人が呆然としている。
「クレオパトラをさらった者の本拠らしい場所が見つかった」
 ティベリウスは私に灯を持たせ、夜道をいずこかへ向かいながら言った。
 ローマ市内は武器の携帯を禁止されているが、もはやそれを咎める者はない。ユルスも王子も短剣くらい常に持っているし、この時など、ティベリウスは抜き身で剣を持ち歩いている。
「背後には、もう一人いる」
「それって……カエサリオン?」
 ユリアの存在をティベリウスは無視した。ここで人をつけて帰宅させるにも、問答する時間が惜しかったのだ。
 最悪の事実が示されていた。殺されたはずのアンテュルスが生きていたとしたら、もう一人のカエサリオンが死亡した事実もまた、確かではなくなる。王女の兄、プトレマイオス王朝最後の国王が生きているとしたら。
「アンテュルスはともかく、カエサリオンは、一度も姿を現してはいない……。アンテュルス一人の芝居で、適当な傀儡を立てているだけのことではないか。だから賊にはクレオパトラの存在が不可欠なのではないのか」
 アンテュルスだけでなくカエサリオンまで、というのは出来すぎている。せいぜいアンテュルスが生きていただけだろう、というのが王子の推論だった。
 王子は言いながらも内心ではティベリウスのやり方に納得していない、怒ったような表情をしていた。
「あの娘と結婚しようが、王の名を名乗ろうが、エジプトを支配できるわけではないのに」
 ユバ王子が呟くと、ティベリウスは一瞬沈黙した。
「……アウグストゥスに、自分をエジプトの王にしろと頼んだそうだが?」
 ふーんとユリアは王子の横顔を眺めた。感心こそすれ、軽蔑する様子はない。
「やるわね。善良な学者ばかを装いつつも、実は欲深い男だったのね」
「結婚することの条件に、エジプト一国か。大した持参金だな」
 ティベリウスの厭味に、王子が大儀そうに返事をする。
「確かに、一国寄越せと言ったのだから、無欲ではないだろうね」
「で、お父様には拒絶されたのね」
 ティベリウスは軽蔑の眼差しで王子を睨んだまま言った。
「当然だ。クレオパトラ・セレネに男児が生まれたら、ユバを離縁して子供を王に立てるに決まっている」
「決めないでよ」
 ティベリウスの指摘は、そのまま王女の叛意の可能性を示していた。ユリアは一笑にふしたが、ティベリウスにはアウグストゥスに対する謀叛になりうる企ては、真偽を問わず許しがたいものだった。
「子供の名は男だったらプトレマイオス、女だったらクレオパトラかベレニケ。アルシノエというのもあるか。家庭ではギリシア語を話し、ギリシア風の衣装を身にまとう。母親と息子が、父親と娘が、兄と妹とが結婚する。代々の伝統に則って親族が憎み合い、殺しあう。目に見えるようだ」
 私にはヌミディア人とローマ人とギリシア人の血の混じった子供の姿どころか、ユバ王子が王女と結婚して生活をともにする姿さえ、想像できなかった。
「ユバなりの、考えなんでしょ。あの娘の故郷なんだから……」
 エジプトを望んだ王子の真意はわからない。ユリアは好意的に理解しようとしたようだが。
 アウグストゥスは亡命したり敗北した諸王、諸族長やその子弟をローマで教育し、その教化の程度を見て、領地を任せるに足るかを判断した。もともとユバ王子の結婚も属国を与えることを前提にしたものであり、父親の領地、ヌミディア王国あたりの版図が想定されていた。
 ユバ王子は野心とは無縁の人である。王族としてかしずかれた生活を記憶していないのだから、率いる民も守るべき領地も知らない。それが血統を理由に土地を与えられるのだから、当惑もしていた。だが王子は密かに、エジプトの玉座をアウグストゥスにねだっていたのだ。
 ティベリウスは憤慨したまま続けた。
「ユバにエジプトを与えれば、プトレマイオス王朝を復活させることになりかねない。ユバともあろう者が軽々しいと、アウグストゥスは笑っておられたぞ」
「単純にアレクサンドレイアの大図書館が目当てなのではないですか?」
 私が言うと、ユリアは感心して損をした、という顔をした。
「確かにユバは、お父様に従ってエジプトから帰ってきた時、ずいぶん浮かれてたわね」
「……そうなのか?」
 説得力があったのだろう。ティベリウスの声がわずかに小さくなった。
「もうやめましょうよ。今日はユバはユルスにもあたしにも叩かれてさんざんなんだから」
「議論は負けた者の方が、新たに何かを学び知るだけ得るところが多いのだ。ありがたく思え」
「……誰の言葉かしらね」
 厭味なのだが、ティベリウスは気づかない。
「エピクロスだ」
 私たちはティベリウスの歩くままに、人けのない夜道を進んでいた。ユリアは心細げに王子の腕につかまっている。得体の知れない義理の兄よりは、信用出来たのだ。
「ティベリウス。君はユルスや私がどう行動するか、試しているのか?」
 王子の問いに、ティベリウスは返事をしなかった。ユルスをエジプト王家の内通者として、最後まで疑っていたのだ。
「何故ユルスに、あんなことをさせた。実兄ではないか」
 ティベリウスの後ろ姿は、闇にかすれて見えた。この若君は猫のように夜目がきき、闇夜を灯がなくとも自在に歩けたという。
「あれは偽物だ。アンテュルスではない。ユルスも認めなかった」
「君はユルスを試したのではないのか?」
「……」
「君や他の者が始末することだって出来た。殺す必要もなかった。だが君はユルスが反アウグストゥスに加担するかも知れないという疑惑を抱いている。ユルスの本心を試すために、彼に任せたのではないのか?」
 王子はひどく怒っていたが、少年にはかわされた。学友として育ち、姻戚のように一くくりされる間柄にはなっているが、ティベリウスにはユルスも他人である。
 母は夫との赤子の懐妊中に家を出、別の男に嫁いだ。父は妻を売り、元妻の結婚式では花嫁の介添えを務めた。ティベリウスにとって血縁など意味がなかったから、ユルスがどんなに妹たちを大事に思っていても理解できないし、実兄に手をかけることにもなんの感慨もない。
「貴様にどう思われても構わぬが」
 ティベリウスはうんざりしたように答えた。
「人は変に信頼されるより、疑われた方が、己に厳しくなるものだ。ユルスが私に手の内を見せたと言うことは、絶対にアウグストゥスを裏切らないように、自分を監視していろということだ」
 確認したわけではないだろうが、ティベリウスは断言した。
「あれが、どうしてアントニウスの一門を使わないか、わかるか? 信用できぬからだ。自分も、被護人も、機に乗じて謀反をしでかす恐れがあるからだ」
 どんなに自分に言い聞かせても、理解しているつもりでも、魔がさすこともある。肉親への思いが深いからこそ、妹たちを守りたいと思う同じやさしさで、アンテュルスを見逃してしまうかも知れない。だからユルスは、ティベリウスを頼ったのだ。
「弱い奴だ」
 ティベリウスは吐き捨てた。王子は呆然としている。
 だとしたら私はティベリウスのように、何も信用せず、何も愛さないが故に無敵であるよりも、ユルスのように愛情深いだけ、どこかにもろさがある方を選びたい。

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何故プトレマイオス王朝は、あんなに家族で殺し合いをするのかよくわかりません。
別にローマが介入しなくても、王家の血筋は途絶えていたような気がします。
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