スブラへの訪問者

 屋敷中が寝静まっていた。使用人たちの多くも昼食後の午睡している時刻である. 私は目が覚めたので、水でも飲もうと部屋を出た。そしてそのまま玄関まで様子を伺いに行った。話し声が聞こえたからである。誰か客が来たようで、驚いたことに客はクレオパトラ・セレネ王女だった。駕籠に乗り、お付きの奴隷を連れてきていて、門番に屋敷の主人への取り次ぎを頼もうとしているところだった。 「ユバ王子でしたら呼んできますよ」
 思いつめた表情の王女は、青白い顔をして無言でうなずいた。
 正直なところを言うと、私は王女を信用していなかった。我が師を殺した犯人を知っているにもかかわらず、黙秘を通しているからだ。
だが、彼女も良心には逆らえずに、王子に何か打ち明けに来たのかも知れない。
 眠っていた王子を起こすと不機嫌で、さらに王女の名を出すと世にも絶望的な顔をした。
「なんで無理やり起こされて、しかもあの娘に会わなければならないんだ」
 ぼやきながらも、のろのろと人前に出る準備をする。なにしろ王女が訪ねてくるのは初めてのことだった。「嫁入り前の娘がはしたない」と言って帰すことは出来ただろうが、まず話くらいは聞いてやるのが筋である。ゆくゆくはこの屋敷が婚家になるかも知れないのだから、屋敷の案内や、使用人たちに後の女主人として紹介する必要もある間柄である。
「何か分かるかも知れないですよ」
「そんなに素直な娘だったら、私も苦労しないよ」
 顔を洗い、着替えながら、最初に何を話すべきか本気で悩んでいる。下手な話しかけ方をすれば、いつものような大喧嘩になる。それではこの屋敷の主人として使用人たちへの示しがつかず、好ましくない。
 私は王子を追い立ててから、もう一度様子を見に行ったが、王女はまだ玄関にいて入ってこようとはしなかった。
「……やっぱりやめます」
 王女は王子が出てくるのを待たずに言った。
「帰ります」
「え? 王子は今、来ますよ」
「会って話したら、たぶん……喧嘩になるから」
 王女は連れてきた奴隷に帰宅する旨を告げた。
「話をしてもあの人はいつも私を怒るし、私もあの人が正しいとわかっていても、やっぱり認めたくなくて怒ったり泣いたりしてしまうから。帰ります。自分で結論は出したので、あの人の意見を聞きたいわけではないの。ただ話しておかなければならないと思ったのだけれど。これ以上後味の悪いことはしたくはありませんから、何も言わずに帰るのが一番良いように思います」
 辛そうな顔をして王女は言い、ふと私に言った。
「私もアポロニオスの死は悲しいの。でも悪いけれど、私には言えないの……」
 王女は王子が来るのに気づいて言葉を切った。王子から逃げ出すかのように、玄関を出ていった。
「なんなんだ。人を起こしておいて」
 王子は不機嫌そうに言ってあくびをした。
「わかってる。後で私からカリナエに行くから。今追いかけて行って道端で言い合いになるのは嫌だ」
 私も王子が彼女に無理やり話を聞き出すというならやめさせようと思った。泣きだしそうな彼女に何を言おうとしたか尋ねても、気性の激しい王女は取り乱すだけだろう。
 治安の良くないスブラに、若い娘が勇気を出して婚約者に会いに来たのだ。よほどの決意があったのだろう。それくらいのことは王子も理解している。
 スブラの人波の中、駕籠に乗りこむ一瞬、王女が振り返り、こちらを見た。泣きそうな顔をしているだろうと私は思った。

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