被疑者

「面白そうな話だな」
 はっと顔をあげると、ティベリウスが食堂に入ってくるのが見えた。
「ティベリウス……」
 ユルスが身構えた。王女はそっぽを向いて無視した。
「速やかに吐け。貴様らの証言があれば、調べやすくなる。クレオパトラ。プトレマイオス・カエサリオンに会ったのか?」
 私が王子を見ると、黙るようにというしぐさをした。
「エフェソスのアポロニオスが死んだそうだな」
 誰も何も答えないので、ティベリウスは呟いた。この人も別の意味で人の死に感想はない人種である。二人を疑っていることが露骨に感じ取れる居心地の悪い喋り方をする。
「そのカエサリオンが師を殺害したのですか?」
 私はそれを知りたかった。ティベリウスがしかめ面で答えた。
「さてな。アポロニオスは嘗て王族の教師をしていた男だ。プトレマイオスの殺害に係わった教師もいる。アポロニオスも一枚噛んでいたのではないか。案外、プトレマイオスは生きており、ローマで会ったのが運のつき、復讐で殺されたのではないのか?」
 アレクサンドレイアの陥落の時のことを、我が師は語ることがなかった。だがそれは王宮を離れ避難していたためである。我が師が教え子の全てを救えなかったことを深く悔いていたことを私は知っていた。
「違います!」
 この人にはおそらく悪意はない。だが思いやりもないから、思ったことをすぐに口にする。私は師匠の名誉のために反論した。
「だが少なくとも最近の動きはわかっていまい。現に殺害当日だって、お前は遠ざけられていたではないか。既にローマでカエサリオンに会っていたのかも知れぬぞ」
 ティベリウスは言い切った。全く私を怒らせているという意識はない。ひどい言い様だが、それを論破できるだけの証拠はなかった。だがそれでは私の気がおさまらない。
「よく死者に対してそんな言い方ができますね!」
「私は別に死者も生者も差別はせぬ。文句があるなら生き返って言い返せば良かろう」
「あなた、おかしいですよ。普通そういうことは……」
「哀れんで欲しければほかへ行け。お前の相手をしている暇はない」
 ティベリウスの言い分の方が正しかったのだろうか。確かに私がティベリウスを改心させたところで事態は何も変わらない。
「ティベリウス。この坊やにとってのアポロニオスは、お主にとってのアウグストゥスだ」
 私たちの言い合いに呆れたユルスが言った。それを聞くとティベリウスはようやく黙った。私の相手をしたくなかったのかも知れないが。
 ユリアが様子を見にやってきた。
「マルケルスが帰ってきたわよ。食事にするって。あらティベリウス。来たの?」
「母にお前を連れて帰れと言われたのでな」
 憮然としてティベリウスが答える。ユリアの義理の兄になるが、仲はよろしくない。
「あらご苦労さま。リウィア様も小うるさい方だこと。でも晩御飯は御馳走になってもいいわよね。行こう、クレオパトラ」
 ティベリウスが何か言いたげにユルスを見てから先に出た。
「別にティベリウス、帰ってていいのよ。ユバかユルスにでも送らせるから」
「ティ・シュ・レゲイス(何を言っている、お前は)!」
 ティベリウスはギリシア語でユリアを怒鳴りつけた。
「こやつらでは心もとないから、私が来たのではないか!」
「もお。いちいち怒らないでもいいじゃないの」
 つかつかとティベリウスが歩き、王子やユルスが続く。背後から、王女と腕を組んで歩くユリアの、ため息まじりの訴えが聞こえてきた。
「だいたい何言ってるのかわからないのよ。別に大昔のギリシア語に詳しくたって、昔の人間とお喋りすることなんてできないのにねえ。しょっちゅうお父様に『もっとわかりやすい言葉で話しなさい』って言われてるのに」
 それを聞いて王子がちょっとむっとした。ユリアは突然話題を変えて、小声で王女に尋ねた。
「ねえ。うちの男たちでは、誰が一番好み?」
「……?」
「将来性だとマルケルスでしょうけど。ノリだとユルスよね。頭や体格で言えばティベリウスが一番かしらねえ」
「そんな風に彼のことを見てるの? 義理とは言え兄妹でしょう」
 王女が露骨に蔑んだような声で言った。
「でもあなたの国って、兄妹で結婚するのでしょ?」
 クレオパトラ・セレネ王女はそれに対しては返事をしなかった。
「あなたはローマ人と結婚するのね」
 王女は呟いた。
「私はローマ市民の娘だもの!」
 ユリアは当然のように答えた。
「……私もそうなのよ」
 王女の声は小さく、私は王子に聞こえたかどうかが心配になった。

 食事を終え、ユリアを送るためにパラティウムに向かいながら、白い顔を強張らせたティベリウスは、大きな瞳でユルスを見つめた。
「もう一度聞く。プトレマイオスに会ったのか?」
 先ほどの王子の言葉で初めてカエサリオンなる者の存在を知った反応だったユルスは、ちらと王子を横目で見てから警戒したように答えた。
「どのプトレマイオスだ?」
 確かに王家はプトレマイオスだらけで、王女の祖先、祖父、叔父、兄、弟のいずれかの判断に困る。
「しらばっくれるな。プトレマイオス・カエサル。女王の息子の通称カエサリオンだ」
 それに王子が補足した。
「亡くなった当時は十七歳だ」
「ということは、もしも現在まで生きていたら、二十になる」
 とティベリウスが言った。
「ふーん。つまり、そのプトレマイオスが生きているのだとかいう噂があるのか」
 いくぶんわざとらしく、初めて聞いたようにユルスが尋ねるとティベリウスはうなずいた。「嘘くさい」とユルスが言うと、ティベリウスも首肯した。
「確かに普通の人間には意味を成さない噂だ。しかしある者にとっては違うだろう」
「何が言いたい」
 ティベリウスの含みのある言いように、ユルスは説明を求めた。
「古来、エジプトの王家では長女に王位継承権があり、王女と結婚した男に王位が与えられる。つまりは未婚の状態では、王位に即けない。プトレマイオスの名を持つ男が現れたということは、エジプトの共同統治者となる可能性があるということだ」
 異母妹に関わってくるとあって、腹立たしげにユルスが訂正した。
「エジプトはアウグストゥスの直轄地になった。いくら元ファラオだのその血縁者が軍隊を連れて現れようが、統治者にはなれぬ」
「だが、それもわからぬ者もいる」
「お主、クレオパトラを疑っているのか!?」
 ティベリウスは沈黙で肯定を表した。元々二人は口喧嘩をする仲ではない。お互い言い合いになったら平行線をたどることが分かっているから、ティベリウスはユルスを見下すように切りあげたし、ユルスも相手にしなかった。
「ティベリウス。根拠は」
 冷静に王子が促した。王女が逆上して出来なかった話の続きを、ティベリウスにさせるつもりなのだ。
「アリストテレスの書の噂を調べていて、耳にしたのだ。ローマに『アステリオン』を持つ者が現れた。それはアレクサンドロスの後継者(ディアドコイ)、プトレマイオス王朝の最後の王、カエサリオンだと。ムーセイオンに伝わっていたか、ペルガモンから移されたかしたのだろう」
 アレクサンドレイアの王宮の一部にムーセイオンがあり、王立の学術研究機関と、有名な図書館が併設されている。
 莫大な国費をかけた図書館は、世界でも最大、最高のもので、世界中の書籍を収集した。アレクサンドレイアの港に停泊する船舶からあらゆる書物を巻き上げ、蔵書にないと判明したものは、購入するか、筆写をする。原本を手元におき、筆写したものを持ち主に返すということまでやった。アイスキュロスなどの著名人の自筆原稿が出てこようものなら、有無を言わさず巻き上げた。
 図書館は惜しくもアレクサンドレイアの市街戦の時に炎上したが、現在も復興作業が続けられている。アレクサンドレイアに次ぐ、と言われたペルガモンのアテナ神殿付属図書館の書籍を、マルクス・アントニウスはクレオパトラ七世に贈っていた。
 『アステリオン』を所有すること。それがアレクサンドロス大王の後継者、プトレマイオス王朝の後継者であることの証であるという。
「それを持つものは、世界を統一できるとも言われている」
「ふん。書物を読んだくらいで世界征服ができるんなら楽なものだ。成功例はいるのか?」
 ユルスが呆れたように言う。
「それがアレクサンドロスだ。惜しくも短い生涯で世を去ったが。今度はカエサリオンという具現者を手に入れたということらしいな」
「アリストテレスやアレクサンドロスに、カエサリオンが生きていた? どれをとっても下らん幼稚な噂を、いちいちクレオパトラと結び付けるな!!」
 ユルスはティベリウスを怒鳴りつけた。
「ティベリウスが気にしているのは、その噂の背後にあるものや仮定の示すことだ。ばかげているのはわかるが、ある者にとってはそれが動機となりうるのだ」
 ユバ王子は言った。王女をかばわない。ユルスは愕然として声を失った。ティベリウスが観察するように、ユルスと王子を凝視していた。
 しかし明らかに、ユルスは王子の言うまでカエサリオンの噂を知らなかった。では、あの祖神ウェヌス神殿の男を、誰だと思っていたのだろう。

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悪役登場。
影の薄い語り手ステファノスの、珍しくセリフが続いたのですが、皆にスルーされてしまってる。
今更だけどステファノスには「アレクサンドリア」ではなくギリシア式の「アレクサンドレイア」で、クレオパトラ・セレネも「クレオパトラ」と呼んで表記します。ローマ式には呼ばないんです。ウザー、と思われるでしょうが、実はユバもギリシアオタクなのでそうです。
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