シュンポシオン

「良かったらマエケナス殿のお宅に伺いませんか」
 その日、王子が暇を持て余すことになった私たちを誘ってくれた。
 マエケナス殿は、アウグストゥスにとってアグリッパ将軍に並ぶ親友にして功労者だった。戦時には軍事を担ったアグリッパ将軍に対して、マエケナス殿は交渉役を受け持った。平和が到来すると、実務からは退いたかのように、才能ある文人に出資を行い、文化の向上に尽くした。
 王子はしばしばこの文化人の邸宅に招待され、マエケナス殿の親しくする作家、詩人、歴史家たちと交遊をもつ機会に恵まれた。
「王子は有名人なんですね」
「次期国王がその辺を歩いているんで、面白いんじゃないのかな」
「どこの国か、決まっているのですか?」
 私が尋ねると、王子の表情が寂しげになった。
「おそらく父の領土だろうとは言われている。特に思い入れはないのだが……」
 とすれば北アフリカ、ヌミディアの領地ということになる。
「私はローマの方が好きなのだけど」
 王子は自分を育んでくれたローマの人々とまちを、深く愛していた。
「でもいつまでも子供のように、アウグストゥスの世話になっているわけにはいかないからね」
「宮殿も図書館も広場も、王子の好きなように造れるじゃないですか」
「だったらアレクサンドレイアの王宮のようなのがいいな。図書館がついているんだ」
 王子にとって、アレクサンドレイアは完成された、理想の都市だった。その点で言えば、ローマは未完成である。
 未来のどこかの国王は、複雑そうだった。気楽な独身時代と共に、ローマでの自由な生活は終わる。国王が、近隣の人々に招かれることも珍しくなるだろう。
 この日はあらかじめマエケナス殿の寄越した解放奴隷から、宴会の日取りを知らされていた。予定の献立や、招待客も招待状には記されている。
「古代史研究家のティトゥス・リウィウス。詩人のプロペルティウス。詩人ウェルギリウスも来るそうだよ」
 ローマでその頃、名の知られはじめた人々である。私も名前くらいなら耳にしたことがあった。
 マエケナス殿のお宅は、アウグストゥスもお忍びでやってくるという立派な屋敷だった。贅沢な庭園もついている。貴族の館のような豪華な玄関の間や、天井の開いた中庭を通り、奥の大広間に通される。客はそこで椅子に座り、手足を洗ったり、油を塗ったりしてもらう。それから食堂に通され、臥床に横たわると音楽がはじまり、食事となる。
 食事の前に王子は旧知に会って話しはじめた。地方の名家出身のプロペルティウスは、情熱的な詩人である。王子と同い年で、キュンティアと呼ばれる女性との恋愛を憂いを込めて歌った作品を出したばかりだった。 恋愛を題材にした作品を出しながらも、私生活は真面目な青年ではあった。しかし少々思いつめすぎる。
 キュンティアこそ最初の女
 キュンティアこそ最後の女
 王子はその顛末を知っていたから「いい加減ホスティア(キュンティアのモデル)のことは忘れたまえ」と言うのだが、プロペルティウスはうじうじと昔の恋をひきずる。それが妙に楽しそうに思える。詩人とはうじうじしなければ作品が創れないのではなかろうか。
「ところで姫君のご機嫌は麗しいかね」
 この友人は、王子の返事を期待していないようだ。勝手なことを言いはじめた。
「十やそこらの小娘に恋愛感情を抱くことはできぬか。まあ生涯の恋人が 結婚相手とは限らぬさ。君もいつかそういった運命の女に会えるよ」
そして自分の生涯の恋人は、との大演説が始まる。王子は新作を発表しはじめたプロペルティウスを置いて別の人々の輪に加わった。
 『農耕詩』を発表した四十過ぎの病弱な詩人、ウェルギリウスは「お嬢さん」という愛称で呼ばれていた。しばらく雑談が続いたが、何気なくウェルギリウスが尋ねた。
「王女は元気でいらっしゃいますか?」
「常に怒っているほど元気ですよ。ペレウスの子(アキレウス)並みに、怒りで叙事詩の一つでもできるんじゃないですかね」
「それはそれは。よろしくお伝え下さい」
  ウェルギリウスは苦笑した。
「ローマの歴史を書いているそうですね」
 王子がリウィウスに話しかけた。 三十過ぎの歴史家、リウィウスは二年ほど前にその大作『ローマ史』に着手したところだった。ローマ建国の伝説から、ドルススの死を描ききるまでに四十年以上の年月をかけることになる。
「どこまでやれるかはわからぬがね。私の一生の仕事になるだろう」
 新しい時代の到来は、文人たちに創作意欲と活躍の場をもたらした。アウグストゥスの親友が、作家や詩人のパトロンとなって創作活動を援助する。内乱にあけくれ、身内の殺しあう時代に絶望していた人々は、ここにきてようやく平和を実感していた。
 マエケナス殿の出資と指示により、意識的にアウグストゥスを讃える作品を作ったと言われる人々ではある。だが創作に専念できる平和と、安定した市場は常にあるとは限らない。平安の象徴とも呼べるものが、このマエケナス殿のサロンであったのだ。
 私の知る限り、王子は言い伝えや事実を書き連ねることはあったが、同時代の事物について、自分の考えを記すということはなかった。
 「アウグストゥスについて何か記述すべきではないのですか」と尋ねたことがあったが、王子は笑って言った。
「私は、傾きすぎるから」
 「歴史家は自分の国や友人に肩入れするために、故意に誤った事実をあげることは避けねばならないが、どちらかに傾くことは許される」というポリュビオスの言葉のことを言っている。
 批判の出来ない立場であったこと以上に、王子は自分が肩入れしすぎるのを知っていた。アウグストゥスの間近にいて感じた違和感を、故意に書かないということも、中立ではない。そのため記すことができなかったのだ。
「おいで頂いて光栄ですよ」
 マエケナス殿はにこやかに王子に言った。
「お招きありがとう。何日も前から楽しみにしていましたよ」
 王子が礼を述べると、マエケナス殿はそれはそれはと首を左右に振って嬉しそうにした。いつ会っても感心するのだが、戦時に各地を遊説して回った外交官らしく、人あたりがよい。
「こうした席には王子をお呼びしないと。ああ。これはこれはエフェソスのアポロニオス殿。ぜひお会いしてお話を伺いたいと思っておりました」
 そしてマエケナス殿は王子に小声で尋ねた。
「で、如何です? 王女とはうまくいっていますか?」
 なんとか王子は微笑で答えた。
「可愛い娘ではないですか。多少気が強そうですがね。将来が楽しみではありませんか。今に女王のように知的な美女になると思いますよ」
「そうですか」
 アウグストゥスの友人が、不仲を知らぬはずがないが、言い返すわけにはいかなかった。後で一人になると王子にしては珍しく、「あの娘の機嫌など知るか!!」と激怒していたが。
 客観的に見ればローマに滅ぼされた王家の遺子同士の結婚である。アウグストゥスの命令で結婚する二人に真の愛情が芽生え、理想的な家庭を築いてくれればと人々は期待する。だが王子にはどう見ても子供で、一人の女性として扱うのに抵抗がある。アウグストゥスに真面目にままごとを命じられた気分になる。
 だが矛盾していることに、王子は子供とあなどる反面、大人のような受け答えをする王女の可愛げのなさに立腹している。単に賢しげな子供を見ると腹が立つのかも知れないが、それは言い訳にすぎない。一番の理由は、王子の劣等感にあると言えた。
「確かに私は蛮族マシュリーの出だが、プトレマイオス王家も、もとはギリシア人にバルバロイと呼ばれたマケドニアの発祥ではないか。エジプトの長い歴史を継承してファラオなどと名乗ってはいるが、借りものに過ぎぬではないか」
 私の視線に気づいて言う。
「そうとも。私とてトガを着て、ローマ市民のふりをしている。似つかわしくはなかろうさ。借りものの威さ」
 私は栄光ある文化と伝統を持つギリシア人だが、同じギリシア人にも奴隷身分の者もいる。キケロの奴隷のように学があって重宝されたり、王子の調べ物の手伝いをするほどの者もいる。さまざまである。
 我が師はそんな王子を見つめてかぶりを振り、しみじみと呟いた。
「セレネは幸せ者ですよ。確かにあの娘は感謝することを知らなければならないでしょう。ユバ王子のような立派な方の妻になるのですから」
「こんなうさんくさいバルバロイに嫁ぐ王女の、どこが幸せでしょう」
 ユバ王子は遠くを見やりながら答えた。我が師はかたくなな王子に微笑んで言った。
「彼女の半分はローマ人であるのだし、あなたもローマ市民ではありませんか」
 ローマ人は征服した土地の原住民にもローマ市民権を与え、取り込んできた。この点でギリシア語以外の言葉を喋る者を蛮族と見なし、他の民族を排してきたギリシア人とは異なる。
「……そうでしょうか」
 途方に暮れたように王子は呟く。
「トガもお似合いですけど、王子には、ヒマティオンの方が似合うと思いますよ」
 ローマ人には実は正装のトガは不人気で、略装やギリシア式の服装が好まれた。それをさっ引いても、ギリシア文化好きの王子には、ローマの政務官の着るトガや甲冑より、ギリシア風の文人の恰好が似合うに違いない。 私が言うと王子は苦笑した。

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加筆するなり訂正入れるなり必要だったんでしょうけど、「名前しか知らん。外交官だから外交的?」と書いたマエケナスや、ざっと知らべて羅列しただけの登場人物でございます。しかし今でもきちんと理解しとらんので、「昔はものを知らなかった」とか言えません。
実はこの回の更新は、「MAECENAS」の管理人のseptemさんの誕生日ということでイレギュラーの平日にUPしました。(当時は毎週末に更新していたのです)
ここしか出番はないのに、昔書いた長編を週一で適当に2、3章ずつUPしていてぴったりの周期に当たるとは。「何てマエケナスにご縁のある人なんだろう」とか一方的に超ポジティブ思考で考えました; 
「狙ってました。計算通りです♪」とか言えればかっこいいのになあ……。
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