パラティウムの丘

 夕闇がせまり人々が帰宅の途か、はたまた宴へと向かいだす時刻、私たちはフォルム・ロマヌムを丘に向けて歩いた。ローマ以外の地で人がローマと言えばここを示すであろうし、ローマを離れ、こうしてローマを思う時、私はあの建築物の建ち並んだ石畳の広場を思い描く。
 広場に面したパラティウムの丘の斜面の階段を昇ってゆき、屋敷にたどり着く。名乗ると来客の予定を承知している門番は、愛想良く迎え入れてくれる。
 戸口には柏葉がくくりつけられ、両側の柱は月桂樹の苗木で覆い飾られている。パラティウムの丘のアウグストゥス邸は事実上の王宮だった。そう呼ばれることを当人は嫌い、増改築も拒んだためもあって、最高権力者の邸宅にしては質素な、少し裕福な貴族の邸宅程度の屋敷だった。
 家内奴隷に天井が空いた中庭に案内された。つきあたりが接客室、左手は窓越しの風景を描いただまし絵のある横臥式食堂で、キタラ奏者が静かな曲を奏でていた。
 ユバ王子が誰であるのかは、食堂に入って一目でわかった。褐色の肌と黒く縮れた髪は、アフリカの出身であると知れる。背はさほど高くはない。健康的な若者であるが、黙っている時の表情からは、神経質そうな印象を受けた。
 我が師と青年とは視線があったが、軽く会釈をするにとどめた。主に紹介されぬうちに話しはじめるのは不自然であったからだ。
 既に出席者は揃っていた。一人を除いては。この屋敷の主、アウグストゥスは晩餐には遅れて出席し、閉会が告げられる前に退出する。この日も出席者が臥床に横たわり、食事を始めてしばらくたった頃に現れた。
「ようこそエジプトから参られた。エフェソスのアポロニオス」
 尊厳者アウグストゥス。
 ガイウス・ユリウス・カエサルの後継者。
 政治と軍事を掌握するローマの最高権力者。
 大男を想像していたが、女の如き華奢な身体つきをした、病弱そうな男に見えた。生来胃腸が弱く小食で、実際背も低い。けれども彼を知るうちに、誰もがその頼りなさげな印象を払拭することになる。
「アレクサンドレイアの学堂についての報告はまた後日伺おう。今宵は我が家でくつろぐがよい」
 彫刻のように美しい男だった。芸術において、ローマ人は現実を、ギリシア人は理想を重んずるというが、彼の精密な彫像は、ギリシア人を満足させるだろう。
 そのままアウグストゥスはユバ王子に話しかけた。
「よく来てくれた、ユバ」
 穏やかな語り口と、心地よい声だった。
「歴史を題材にした文章を書いているそうだね。なんでも出来が良さそうだとか。耳に入ってくるよ」
 アウグストゥスも忙しい身で数多いる自分の被護人全ての近況を覚えていることはあるまいが、ユバ王子に関して言えば、学業の話題が耳に入る機会が多いようだった。
「お蔭様で」
「時折、不安になる。ユバはローマ人よりも正しいラテン語で話すのではないかと。ロドスのアポロニオスはキケロのギリシア語による弁論を聞いて、ギリシアに残された教養と弁論さえローマ人のものになったかと、ギリシアの運命を哀れんだというが、私はローマの運命を嘆かずにはいられない」
 神君カエサルに破れ、自殺したヌミディアのマシュリー族の長ユバには同じ名の四歳になる男児があった。それがユバ王子である。
 カエサルはローマに王子を連れて帰ると、凱旋式の列に加え、ローマ市民の前でさらし者とした。しかしそれが終わると、カエサルは幼い王子に最高の教育を受けさせた。カエサルが死ぬと、王子の後見はカエサルの後継者、アウグストゥスに引き継がれた。
 ユバ王子はギリシア語とラテン語を学び、歴史を、地理を、芸術を学んだ。父王の死によって、ローマの貴族にも負けぬ立派な教育を受ける身になったのは、皮肉な話である。
「ありがとうございます。いかに辺境に生まれた蛮人でも、なんとか教養のようなものは身につくということです」
 ユバ王子は面と向かって蛮族の出と中傷されれば怒りはしたが、賞嘆されると「蛮人のわりには、ということだから」と謙遜した。しかしユバ王子の知識の深さを認めぬ者はいなかったから、いつしかローマで王子を侮る者はいなくなった。
 ヌミディア王の遺子は、王子であることよりもローマ市民であることに誇りを持っていた。人間として認められたことに他ならないからである。
「アポロニオス。彼がユバだ。若いながらもなかなか学識がある」
 アウグストゥスに紹介され、我が師は承知顔でうなずいた。
「お名前は存じています。書物も何冊か拝読しています」
「お会いできて光栄です」
 ユバ王子も我が師を知っており、すらすらと書名をあげられた。正直これまでの旅程で我が師の書をきちんと読んでいた人が皆無だったので、本当に知られているのか疑問だったのだが、ようやく安堵できた。
「アレクサンドレイアからの長旅で、お疲れではありませんか」
「大した距離ではありませんよ。もっともこの子には初めてのことで、大変な冒険であったようですがね」
 そこで初めて彼は私を見た。その時の私は、騎馬兵で有名な部族民である王子の見かけと、綺麗なラテン語やギリシア語を話している事実が一致せず、少々戸惑っていた。
「お弟子ですか?」
「ステファノスと申します。亡くなった知人の子をひきとったのです」
 妻子のない我が師とは、父子であるよりも、教師と弟子という関係の方に重きをおく間柄であった。当分結婚する気のない師に、ゆくゆくは後継ぎにと目されていたようだ。
「アレクサンドレイアと言えば、私は昔、あの娘を教えたことがあるのですよ」
「……誰ですって?」
「失礼。クレオパトラです。女王の娘、クレオパトラ・セレネ……」
 ユバ王子の表情が、みるみると困惑したものに変わった。随分とはっきり顔に出る人である。
「婚約をされたそうで。あの娘をどうか頼みます」
 ユバ王子は動揺した様子ではいと言った。我が師は怪訝そうな表情をしたが、敢えて踏み込んだ話は避けた。王国時代に関することを大きな声で話す場所ではないと判断したからである。

 邸宅の主は質素を好み、大抵の会食は三品、多めの時でも六品程度にとどまった。私たちもごくうちわの、家族の食事会のようなもてなしを受けた。ゆで卵からはじまり、チーズやオリーブ、自家製のパンとともに、とりたてて贅沢でもない肉料理や腸詰め、豆料理が出され、菓子や果物でしめくくられた。
 私にはこのローマの第一人者(プリンケプス)の質素さが不思議なものに感じられた。地方の貴族の方が、よほど贅沢な暮らしぶりをしていた。絶大な権力と軍事力を掌握する人物にしては、アシアの国王のような生活とは無縁のようだ。だがそれは、本人の趣味でもあろうが、それを装っているようにも感じとれた。ローマ市民とそこから選ばれる執政官とは、不思議な力量関係にあるようだと、私は漠然と考えていた。
 アウグストゥスの実子は一人娘のみである。先妻の娘のユリアは十二歳、勝気そうな少女だった。こちらを興味深そうに見ていたが、若い娘であるので義母やお付きの者に監視されていて、なんだか窮屈そうに見えた。
「アグリッパ将軍、お話をして下さい」
 少年が一人の男性に促した。同席していたアウグストゥスの妻リウィアの連れ子ドルススだった。
 リウィア・ドルシラの息子は、成人式を挙げたばかりの十五歳のティベリウス・クラウディウス・ネロと十一歳のドルススである。リウィアはドルススが胎内にいた時に夫と別れ、アウグストゥスに嫁いだ。父のもとで育った子供たちは、父親が死ぬとアウグストゥスに引き取られた。
「あまり話すことは得意ではないのだが……」
 平和なローマを築くために戦ってきた男、マルクス・ウィプサニウス・アグリッパ将軍である。アウグストゥスの親友にして片腕であり、常に戦場にあった人だ。神の御技の如き美しい筋肉。日に焼けた長身。平素の瞳は穏やかで剽悍な顔つきには気品さえあった。少年たちには英雄のような存在である。
 この勇敢な男によってこれまでの華々しい戦歴や、平定した土地に住む民族の珍しい風俗、新しい属州での苦労話などが語られる。それはさながらホメロスの語る英雄譚である。
 ティベリウスは静かに耳を傾けていたが、幼いドルススは途中からユバ王子の顔を眺めて面白がった。
「一番楽しそうなのはユバだね」
 確かにユバ王子は年若い少年たちよりも興味深げに将軍の話に聞き入っている。熱っぽく頬を紅潮させ、眼を輝かせていて、彼らに笑われていることにも気づかない。無邪気な方である。
 ユバ王子はアグリッパ将軍を、そしてアウグストゥスを見つめる。歴史の徒でなくとも、彼らが新しい時代の建設者であることを知る。彼らの一挙一動を見つめ、眼に焼きつけようとする貪欲さと、崇拝にも似た畏敬の気持ちが、表情に表れていた。
 この時、王子は二十三、アウグストゥスと将軍は三十六歳である。ローマやギリシアでは三十前は半人前と見なされる。アウグストゥスもまだ若い統治者だった。
 当時の私には、ユバ王子よりもアウグストゥスの方が、よほど王らしく見えた。この学者然とした物静かな青年が、後に一国の王になるとは、私には信じられなかった。 

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  師匠をアポロニオスという名にしたのは、あまり意味はありません。アレクサンドリアに同名の学者が多かったので、つけてみました。
ステファノスはギリシア語で「花冠」、詩集の意味もあり。地味な語り手なので、たまに名前が出てくると「誰だっけ」と思われると思います。
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